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それ以前に「演説」は日本に存在しなかった。
慶應義塾のサイトでこんな記事を見付けた。
古来わが国には演説という習慣がなく、自分の意見を他に示し賛同を求めるには、書面にしたためてこれを示す以外に方法がなく、重要なことは文章にするという文書第一主義が一般的であり、口頭による意見の発表は、十分に信頼のおけるものではないとの考えが支配的であった。しかし、この習慣を改めない限り、議会政治の開始はもとより、公平な裁判の実施すら覚束なくなるというので、慶應義塾では教室の中での教育以外に、社会教育の一方法として工夫されたのが、この演説であった。
当時最高の知識人の結社と見られた明六社のメンバーですら、日本語はヨーロッパの言語と違い、大衆に意見を伝えるには適さないなどと見当違いのことを言う者(森有礼)もいたが、その明六社の集会で先生はさり気なく時事問題について演説され、日本語でも立派に自分の意見を他人に伝達することの出来ることを証明されて、演説の必要をとなえられた。
慶應義塾豆百科 30 演説の創始
ま、こんな国だったんだね。とくに森有礼は後に文部大臣になり「国語は英語にしよう」と考え、アメリカ人に「いやいや、言葉は文化ですから」とたしなめられた人で有名。
そう考える人が出てくるくらい、当時の日本には「共通語」がなくて、離れた地域の人と話しても言葉が通じなかったことにも注意。