ニーチェと佛教はある一点において交わり、同じ地平を見る。
世界に価値のないこと。いわば「苦」が全てであること。佛教用語の「苦」(ドゥッカ)とは不完全、無常であるということを謂う。つまり、世界に完全にして不変のものはないということ。あるいは、根本的な超越的存在への絶望か。
全てのものは永遠に回帰すること。ゆえに死は解決とはならず、「生死」そのものを問題とせねばならぬこと。問題は「人類」であり「衆生」、生きとし生けるもの。
運命愛や必然、法(ダンマ)を「信じた」こと。あることは、あるべくして、あるがままにあった。
絶対神、創造神を信ぜぬこと。逆に、己を超越させること。仏陀の「さとり」、仏陀。ニーチェの超人。
「意志」という概念を抹殺することを究極課題としたこと愛は「意志」によってはならない。愛は出会われるものであり、当人に「他者」より与えられるもの。「主体」への嫌悪、対象化を生み出す前を追ったのか。
問題は 仏陀の説くサンスカーラとアヴィジャー。ニーチェの運命愛、力への意志か。