最近、古代から中世にかけての記憶について本を読みまして、昔は印刷技術が確立した後でも、書物はあくまで記憶を助ける補助道具で、記憶にもとづいて瞑想や思考をすることが重視されたようです。
どこかに置いておいて「あそこに行けば手に入るな」というのは意味がなく、頭に叩き込むことに意味があったとのことです。
更に記憶は思惟の延長でるという考えがあり、記憶をするということによって思考や発想がとても影響をうけていたようです。特に、後期バロックまでに見られる様々なイコンやシンボル、模様などは、彼らの記憶術による影響が大きかったとのことです。あるイメージと一緒にあることを頭に入れているので切り離せないというわけです。
さて、ついにコンピューティングとネットワーキングによって「物」が従来の物ではなくなりました。そんなわけで、私は最近、フロリディによって提唱されている「情報哲学」という分野に強い興味があります。コンピューティングとネットワーキングの時代の存在論や認識論の構築です。音楽配信や電子図書館の時代に情報哲学はとてもマッチします。