2007-03-30

[書評] 福翁自伝 / 福沢諭吉 (1899)

あの一万円のおっさんの本である。君が高校生であっても知っていであろうアレである。

きっと金のない君はコンプレックスがあり、「あんな顔見たくもねー」と叫ぶかもしれない。私はそうだった。だから、そんな奴の自伝など読むはずもなく、本書を読んだのは二十をかなり過ぎてからのことである。それも、ブックオフで100円で売っていたもんだから「なんだ、一万円のおっさんの本、100円で売られてるな」と妙な満足感を持って購入した。君達は、そんなコンプレックスは持つべきではないし、そのためにも本書は役に立つだろう。福沢の顔が笑って見えれば、自然に一万円札とも縁ができるかもしれない。

「先生! やっぱり福沢先生は優秀な方であり、僕達も大いに参考にしろということですか?!」と真面目な君は思うかもしれない。違う。全然、違う。私が君達に言いたいのは福沢はアホである。
そのアホさを学んで欲しい
ということである。

福沢がアホというと驚くかもしれない。なにせ一万円札で冷たく無愛想な顔をしているあのおっさんである。俺は「やなやつなんだろーな」と思っていた。本書を読んで認識は180度転回した。そんなことはなかった。アホと言うのが悪ければ、福沢は馬鹿であり、詐欺師であり、手癖の悪いやんちゃ坊主である。そして、だからこそ天才なのだろうということに気がつく筈だ。この本を読んでから一万円札を見ると、その福沢の顔にやんちゃさが見えてくることだろう。

福沢は規格外の男である。武士の時代に生まれながら、西洋の学問に没頭して武士としての常識など簡単に捨ててしまう。偉い人に名誉ある着物を貰っても、即座に売り飛ばし、酒か本にしてしまう。明治になっても変わらない。政府から雇われそうになっても仮病を使う。金持ちに大学で教えて欲しいと言われても断って、自分で大学を始めてしまう。とんでもない男である。父親は早死したらしいが、生きていたら、さぞや息子の人生に驚き、不安になり、やっぱり結局、早死したのではないかと思う。幕府や政府、金持ちなど眼中にないのである。なんとも福沢は凄い男である。

私は福沢の思想に詳しくないので、彼が何を言ったのかは正直知らない。彼も人であるのだから、いくつかの間違いや行きすぎの主張もあったろうし、また、その幾つかは時代状況のため仕方のないことでもあったと予想する。それでも、とにかく福沢を読むのは面白いと思う。福沢といえば「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」が有名であり、理想主義者のように思われているが、事実は逆である。福沢は完全な現実主義者である。この文も、その下に「と言えり」と書いてあって終わる。つまり「世界は平等だとかって言われてるけど、現実は違うよね」というところである。そして平等でないからこそ、学問をしなきゃならんわけで『学問ノススメ』になるのである。君達の苦労の理由もこれを読むと「まあ、現実ってのは仕方ないな」と思ってくれるかもしれない。

まあ、とにかく、一度、この自伝を読んでみるとよい。福沢の言う「自立」「独立」は大いに参考になると思う。不確実な時代を行き抜いた天才の感覚は君を楽にさせるだろう。

「先生! そんな幕末の人の感覚なんて役に立たないんじゃないですか?今は違う不確実さだと思います」と賢い君は思うかもしれない。

そうかもしれない。ただ、逆に考えて欲しい。一体いつ、確実な時代なんてあったかな? 明治は明治で激動であり、大正・昭和初期は大正・昭和初期で激動であり、戦後は戦後で激動であった。つまり、不確実じゃない時代なんてないんだ。とにかく常に未来は誰にも分からないからね。

だとしたら、本から学べることなんて限られるに決まっていることは分かるね? 例えば「金持ちになる方法」「人生に成功する方法」という本があったとして、それはその人がその時うまくいっただけであって、常にそれがうまくいくとは限らないわけだ。つまり、本とはそうやって付き合うしかない。結局、本なんて、その人の人生のエネルギーの痕跡の一つであり、その意味ではただのカスでしかないんだ。

だからこそ、逆に君は本から学ぶことができるんだ。勿論、これは君の読みの深さにもよるだろう。しかし、常に人間は不確実な未来に立ち向かって来たのであり、君はそうした昔の偉人のその姿勢、その眼差しを学ぶことはできるだろう。君はそこに書かれていることを越えて、福沢の本質的なエネルギーを感じられることだろう。そして、「福沢が何をしたから成功したか」なんてことは問題ではなくなるだろう。そんなことはどうでもいい。問題は「自分はどう生きるか。この不確実な未来を」という問いに変わることだろう。そして、全て不確実であり、何も信じられないのなら、結局、自分を信じるしかないということを実感してくれるのではないかと思う。それだけの力をこの本は持っていると私は感じている。


自伝は誰でも書ける。しかし、そうであるからこそ、いい自伝、読むべき自伝というのはなかなか書けるものじゃない。『福翁自伝』はそうした数少ない自伝の一つである。