如何にして彼は成功しているのか? 如何にして彼の小説は、読む者に暴力と権力に怯えさせ、そして同時にそれを憎悪させ(あるいはそれに憎悪する自由への意志を恐れるのかもしれないが)、また、敗れつつも意志と自由を賛美し、性の謎を語りかけてくるのだろうか?
簡単な答はすぐに出せるだろう。それは徹底した描写だ。自由を奪い、辱め、肉を切り、骨を折り、目を火にあぶり、飢えさせ、人間の最後の尊厳すら奪う、権力と暴力の描写が、読者を怯えさせ、憎ませているのだ。
私は何度も何度も、とめどなく悲鳴を上げつづける。それは私が上げるのではなく肉体が自ら発っする音であり、おそらく修復のしようもなく損傷されたことを知った体が、その恐怖を絶叫しているのだ。
しかし、彼の文学は権力と暴力への憎悪を伝えるだけものではない。より深い絶望を描いている。主人公は決っして暴力に打ち勝つこともできなければ、その記録を自ら語ることすらできない。しかし、そういうものとして世界を了解してゆく。
その答えは歴史にあるのだろう。