2007-08-04

教育費について

ぼんやりと、生涯でのカネのかかりそうなイヴェントを想う。

結婚、出産、教育、家、老後……。だいたい、ここらが大きな出費か。

結婚式にカネを使うのは愚かかと感じるので、これは大したカネを使わない。次に出産。これは、まあ、あれだ。安産ならありがたいな。

そして、教育なのだが、これがどうにも苦しい。結論から言うと、金をかけたくないのだ。かけたくない、というよりは、かけるのはよくないと思う。私個人は中学は公立で、三年間、親に塾にやってもらった。そして、○成に入った。そして、まあ、ボンヤリと授業についていったら、東○に入った。

こう書くと、中学の塾が効いたとも思う。ただ、そのせいで、親からはずっと教育費のことで小言を言われ続けた。嫌でたまらなかったので、高校の夏以降は、奨学金とバイトで学費と生活費をまかなうことにした。結構ハードだった。

ふと、スマナサーラじゃないが「怒りでやると、結局だめなんですよ」と言いたくなる。俺は、怒っていた。だから、学業はダメになった。

俺は、塾に行かない方がよかったと思う。別に後悔している訳じゃないが、いま考えると、そちらの方がよかったとしか思えない。金銭的な親との軋轢もなかったろうし、受験という精神的ストレスもかなり低かったはずだ。そして、別に公立高校に入っていても、東大くらいは簡単に入っただろうと思う。

そう思う以上、子供を塾に通わせたくない。カネが惜しいんじゃない。ただ、中学の間、自分の子供には、ああいう世界とは無縁であって欲しいと思う。いや、それも嘘か。

そもそも、塾なんて役に立たない。勉強は自分でするしかない。自分で勉強できない子供なら、塾に入れたって同じことだ。カネで学歴を買っても仕方ない。

自習できればよい。自習して教科書を暗記すればよい。分からないことがあれば、俺に聞けばいい。それで、いいのではないかと思う。どうして、俺が、大学生かせいぜい院生のバイト程度の授業に金を払わにゃならん?

そう。思うのだが、子供には、漢文と古文の素養を持って欲しい。だから、嫌でも論語くらいは暗誦させる。大学中庸、春秋あたりを素読したい。

英語? 漢文をベースにしておけば、英語なんて問題ない。

老後は小さな線香臭い仏間で、儒、道、仏の経典でも繙きつつ、坐禅でもしていたいものだ。そんな人間、現代では存在自体が悪かもしれぬが。

まあ、いつも通り、意味不明。