ツイート |
基本的には、細かいことを書きたくないし、書くべきではないとも思う。気づきの能力をつけるためには、自分で気づくしかないのだから。
ようは、練習や生活のなかで「自分の内部から気づきなさい・学びなさい」という「大人への階段」を渡らせているのです。ただ、しつけは厳しいようですが。これも大人への階段です。
パーソナルトレーナー武田さんの感性(ブログ): 「気づき」とは
一方で「しつけ」のように、理屈抜きにしこまねばならない細かいこともある。こうした細かいことを教える時には、わざと理由を教えないことで、気づく場所を残しておいてあげるのも、やさしさか。そうなると、昔の日本の教育はやさしいと思う。
そういえば、子供に積極的に「なぜ?」と問わせるのがよい教育とか言われるが、その質問に大人が答えていたら教育にならないだろう。
「なぜ?」とは大人が子供に問うことかと。その大人の問いに子供が考えればよい。そして、それが子供が気づくのを促すすべとなれば、ありがたい。
私は「なぜ?」と大人に聞いた記憶がない。そんなことをしたら、「自分で考えろ」と言われるのがオチだったからだ。そうした教育が間違っているとは思わない。