2007-10-08

鮨を喰った

先日、滅法うまい鮨を食べた。調子にのって昼から酒を飲むほど美味かった。鮨の香りといえば、思い浮ぶ一文がある。

夜が更けるにつれて遠くなりながら耳を惹く郊外電車の音に、線路端の人の家の庭先に白い花をちらほらと割かせていた梅の老木を思ううちに、門を入ってきた足音が勝手口の方をまわり、そこで柔らかな女性の声がきこえていたかと思うと、家の内に染みついた線香のにおいの底から、鮨の香がくっきりと立ち昇ってきたところだった。

古井由吉『白髪の唄』である。

この文のせいか分からぬが、鮨といえば線香や梅の香を連想させるようになった。いや、線香の香はこの文だけでなく、私の経験にもよるものか。

東京の通夜では鮨を喰う。古井も、人死(ひとじに)の夜に生物(なまもの)を喰う「怖気(おぞけ)」から、この小説を書き起こしているが、私も、何度かあった通夜の度に、酒を飲み、鮨を喰う大人に「怖気」を感じていた。

高一の終わりには、よく人が死んだ。二月には、心臓を患っていた中学時代の同級生と、私の親友の父親が死に、3月には祖母が死んだ。その度に私は、蛍光灯に照らされる鮨をじっと眺めたものだった。そう、線香の香の中で。

そう、同級生の通夜の後、葬儀場から帰るバスの中で、小学生の頃に好きだった女の子と席が隣になった。夜闇に梅を眺めたと思うが、これも記憶違いか。その前後に、彼女が身を持ち崩しているとの噂を耳にしていた。が、それを確かめることもなく、なにか他愛もない話をしたか。それとも黙っていたか。

私は私の怖気の中で、鮨を喰うことなく、腹を空かして家まで戻った。家路は寒かった。怖気と食い気が一つになり、哀しく、空しかった。死を受け止められず、ひたすらに線香臭い顔をしていた。

まあ、線の細い男である。喰えばいい。結局、人には死など分からないではないか。と今では思う。思い出せば、同級生の葬式の後には同窓会のようになり、皆はカラオケに行ったという。そんな彼等を軽蔑していた私が、愚かというものである。

***

まあ、休みの昼に酒を呑みつつ、鮨を喰う。いいではないか。旨かった。来週は近所の鰻屋でも行くかと思う。

すると来週は鰻が好きだった、死んだ義理の祖父の話でもすることになるか。そういえば、彼と最後に会った時に食べさせたものは鮨だった。