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リズムに対する独断と偏見。
テクノやJ-POP、カラオケや白人ダンス音楽への気持ち悪さを以前から不思議に思っていた。
機械の伴奏だと、歌ったり踊ったりできない。「のれない」「つかれる」「きもちわるい」とてもじゃないが音楽に加わることなどできない。メトロノームでギター演奏はできるし、たぶん歌うこともできる(だから「機械=ダメ」という訳じゃない。使い方の問題[2007-04-16追記])。それ故、決まったテンポでの音楽活動はできるのは知っていた。というか、テンポを保てないのなら音楽なぞできない。問題は、なぜ機械が楽曲の伴奏をすると拒否反応となるのか?だ。
また一方でJ-POPもできない。黒夢などに顕著な頭を喰うリズムは端的に気持ち悪いし、Judy and Mary やスピッツのような三拍目まで「トントン」と置いていって、どこかすっとぼけているようなリズムも身体的に知覚不能だった。原宿などでストリートの人の演奏を聴くと「これはできねーなー」と感じたものだった。
一方で黒人音楽は全般的に好きだった。母親の影響からレゲエ、ファンクを子守唄に聴いたせいもあって、ブルースやジャズはもとより(ラップやヒップホップもオーケーである[2007-04-16追記])、南米の音楽も黒ければ黒いリズムほど好きだ。サンバ、ボサノバ、タンゴ、サルサなどに手を出した。しかし、白人化した音楽はジャズであってもブルースであっても、タンゴでもサルサでも、何でもダメだった。
こう考えると、黒人音楽だけが好きであとはダメみたいに思える。黒人音楽であっても「白人化」を感じるとダメなのだ。
「白さ」と「黒さ」は人種に関係ない
「白人化ってなんだ?」と思うかもしれない。自分でもよくわからないが、とにかく聴けば「あ、これ白人っぽい」と感じるのである。
フラメンコや東欧のツィゴイネルの音楽など「ジプシー」や「ロマ」と呼ばれる人々の音楽は黒人ではないのに好きだ。そしてフラメンコやロマの音楽も「白人化」すると「あ、これダメだ」と感じるのだ。
また、タンゴのピアソラのリズムは白人とは感じない。他のタンゴの演奏家と比べて明かに「白人化してない!」と感じる。というか、ほとんどの他の演奏家のは「白人化」していると思う。
クラシックでも、ほとんどの演奏家は「白人化」したリズムだと感じるが、一方でグールドやニコラーエワのリズムは「白くない」と感じる。
そして黒人であっても何人かの演奏家のリズムは「白人化」していると感じる。これは有名な演奏家であってもそう感じる人がいる。
「俺の感じる白人って何だろう?」こうした疑問が私の中に常にあった。最近、七類誠一郎『黒人リズム感の秘密』(amazon)を読んでヒントをもらえた。
彼も白人音楽では踊れないらしい。また、黒人のアーディストであっても踊れないものがあり、白人のものであっても踊れるものがあるという。
ここで問題が一つはっきりした。「白人か黒人か」という人種的な問題ではなく、リズムに対する態度に問題があるのだろう。
「黒い」リズムは脊椎でとっている
結論を言おう。脊椎という体の中心から感じられるリズムかどうかが重要なのだ。首、背骨、骨盤という中心を動かしたリズム感だと「黒い」と感じるのだ。逆に言えば、中心が動かず、小手先を動かすのでは「白い」と感じることになる。
踊りで考えると分かりやすい。たとえば手を挙げるとする。ただ、手だけで手を挙げるのが「小手先」であり、足腰の振りで手が自然に挙がるのが中心からの手と言える。音が「こーゆー音がココに出てればオーケー」というのが小手先であり「ノリに合わせてたら自然にソコに音が出た」というのが中心からの音と言える。
黒いリズムの3つの基準
次に客観的な基準となることを考えてみる。これらは相互に連関している。
- 1. 意識する拍が速すぎないこと
タメやクイによりノリを出すには基本の拍が速すぎてはいけない。もちろんBPMも完全に数字で言える訳ではない。グルーヴによる。ラテンやファンクはきざみが細かいから早く聴こえるが、ビート自体はそれほどでもない。要はユーロビートみたいのだと早いということ。
フラメンコの場合はコンパスという考えがある。主なものは12拍で1コンパスとなる。フラメンコはこのコンパスで基本的なノリをつくるので、拍が早くともノリを感じられる。
またBPMが早くても強烈なシンコペーションや裏打ち、ビートチェンジなどがあると意識する拍の速度が遅くなる。逆に表だけ打たれるとBPMが遅くても感覚する速度は早くなると思う。ツィゴイネルの音楽では強烈な裏打ちとシンコペーション、それに自在に緩急をつけた演奏が「しなり」を与えてくれる。[2007-04-16追記]
- 2. 大きな流れとしてノリを意識する
拍、グルーヴやコンパスなど、鳴っている細かい音符よりも長い音価の何かを感じられればノレるということになる。大きな流れを確固としたものにすることで、細かい音符をノリやタメとして感じられると気持がよくなる。
- 3. 適切な細かい音の処理がノリを実現する
最後に、大きな流れの中で、細かい音符が適切に処理されること。大きな流れのノリの真髄は細部に宿る。スタッカート、テヌートやタメ、クイなどが全体のノリに大きな影響を与える。この細かい音符を全体の流れの中で適切に処理しなければならない。
この逆に、大きな流れがないと単調になりノレない。細かい音符は機械的に出てくるだけなので意味をなさない。結果として「ドンドコ、ドンドコ」となる。つまり、単に楽譜上で音が出る場所に合わせて音を出すというだけになる。まさに小手先。
リズムに関しては、まあ、ひとまずこの程度で。まあ、あと「白い」と感じるのは音程もある。これは、また、そのうち。
更新履歴
2006-11-01: 公開
2007-04-16: 3箇所追記