2006-11-03

人間の演奏、機械の演奏

また気違いの戯言。なぜ適切に処理された電子楽器の演奏より、適切な練習を積んだ生身の人間の演奏の方が優れていると感じるのかを考えてみる。

本当は音響とか考えるべきなんだろうけど、ひとまず全ての音はスピーカーから出ることにして考える。

まず、生身の演奏家とほとんど同じ機械の演奏を作成することは原理的に可能だと思う。なぜなら、機械への入力を完璧にしたら、スピーカーから全く同じ音を出すことはできるはずだからね。

しかし、そのためには、電子楽器の演奏の情報を入力しなければならない。強弱やリズムの微妙な揺らし、音色の変化などなど。これは非常に煩雑であり、多大な情報を入力しないと満足する演奏は出てこない。手を抜けばいかにも機械の演奏だと分かる、味気のない演奏になってしまう。

更に機械の演奏は不利がある。入力者は音楽の完璧なイメージを頭の中で作り上げていないと、機械に入力はできない。すでにある音楽を入力するなら話は別だけど、音楽の訓練を受けない人が、ある理想的な音楽の詳細なイメージを作り上げ、それを機械に入力できるというのは、ちょっと考えにくい。入力しては演奏させ、さらに入力する……という動作も想像できるけど、これもかなりの労力が必要となるだろうね。

だから「機械での演奏は可能であるが現実的でない」と言えるんじゃないかな。

一方で生身の演奏家には入力作業は必要ない。練習でその場その場で適切な音を出せるようにしてあればいい。そして楽器をモノにしていれば、微妙なニュアンスは簡単に使いわけられる。また、当然、練習する中で表現を学べる。練習は演奏なので機械にデータを入力するような苦痛はないはずだね。とにかく自然に表現を学び楽器に習熟すればいいんだ。

こう考えてみればよいかもしれない。優れたCG画家がいて写真のようなCGを書くとする。本当に写真のように見えるCGをつくるためには多くの入力をしなければならない。一方で写真は一瞬でネガに焼きつけられる。もちろん人間が写真のように描くことは原理的には無理じゃない。でも、その為には一点一点を丁寧に入力する必要があり現実的ではないよね。たぶん、こういう話なんだと思う。