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俺は「場」をかなり調べたし考えたし、人間の場については、いろいろ生活の中でも観察したり実験したりしてみた。
んで、結論。
「人間が認識した場は勘違いである」これが大切。
いやね、場は「ある」とは思うよ。んで、人間が感じることも、まあできんじゃないかなーとか思う、気とか霊とかと一緒でね、そういう知覚機能があるっちゃーあるんだと思うんよ? でもね、「この場はこうだ!」って場を対象にするともうアウトなんですよ。意識的に認識の対象にした瞬間に、もうそれは間違いになります。はい。
というのは場ってのは一瞬一瞬でコロコロかわっていくんです。だから「こうだ!」って判断した場は、過去の場であって現在の場ではないんです。つまり認識した場というのは、過去のもので目の前のものではない、つまり、役立たずなんです。
んだから、場を読むとかは普通の意味では役に立ちません。ええ、完全に無駄です。
でも、まあ日本のように、場の空気は固定化していることが望まれている社会では、「場を読む」という言葉で、過去からの仕来りになっている作法を行うということが望まれてしまい、作法から逸れた場合には「空気の読めねえヤツ」という批判をされます。でも、これは本質的な問題じゃないです。というか「空気の読めねえヤツ」の言ったこと、やったことの方が自然に出てきたものであった場合には、より全体の場の意味を高めることにもなるんです。
たとえば、5人くらいで会議をしていたところ、そん中の二人がもろに喧嘩になっちゃったとしますよね。会議室はめっちゃ険悪モード。二人は睨みあっていて、その他三人は息を飲んでいるという状況です。こういう時、どーします?二人の気持をおしはかったりして、黙りつづけてるのが、まあ、普通な反応だと思います。
でも、ここで「トイレ言っていいですか?」とか「腹へったよー」とか全然、場の空気からいくとダメそうなこと言った方がおっけーな時が多いです。いや、一瞬、そういうこと言った人間って「空気読めねーなー」みたいな反応されますよ? でも、「まあ、そりゃ腹へるわな」とか「はは、おいおい、トイレって小学生じゃねーんだから」みたいに、空気がゆるみます。んで、空気をゆるませることが、この場ではもっとも求められていたことだったりします。
そもそも、人間関係とかは刻々と変化する場の連続です。様々な場の変化の中では、本来、「こうあるべき」「こうすべき」という原則は成立しえません。むしろ目の前に目を向けて感じられるものが本物です。それが最も現実的な場へのアプローチです。
腹がへったら、それは本当に問題なので、飯くうべきです。空気とか気にしてるとバカを見ます。だいたい、喧嘩という場の空気を大切にしても意味ないです。
そうそう「日本人は場を重んじる」とか「場を大切にする」「場の能力が高い」とか言う人いますが、あれアホです。日本人は場の感覚が鈍いから、変な作法、仕来りを生んだとしか思えません。そうして場をジカに感じる努力をやめちゃったから、初対面の出会いとか、想定外の状況に弱いんです。場の能力があれば、それこそ「初」の状況が得意でなければなりません。
初対面の人間と、始めての場で出会うというのが、基本です。「こうすればいい」とかってありえません。その場、その場で、新しい初めての人と出会っている、初めての場に立ち合っていると考えるべきです。知ってる人でも初めて会うようにもてなすってのが大切です。一瞬、一瞬、初めての場なんです。その意味で「一期一会」とか、いい言葉ですね。
いや、だから今の作法まみれのお稽古の茶道とかじゃなくて、戦国時代の侘び茶とか、まじですごい技術だと思いますよ。敵対する武将を語らせようってんですから。肩書とか立場とか、ひとまず捨てて、狭いさびた部屋に入って、どーでもいい茶碗でお茶を飲み、にっくき相手と初めて出会った人間のように相手と話す……わけでしょ? これはすごい。
そういう時には、とにかくホストは相手を気にしてちゃダメです。そういう時こそ、自分の筋を通すことのみに集中しなければなりません。だから利休とかは普通に考えると相手を怒らせるような屁理屈をやります。でも、その屁理屈がその場にあっているものだからこそ、侘び茶のなかに、ゆとりができるんでしょう。相手は、利休の屁理屈そのものに納得するのではなく、その利休の感性そのものに自由を感じ、自らもやすらぎを感じるのだと思います。
とにかく、相手を気にするのは間違いです。気にするのは自分の感性と、自分の中の筋だけです。 怒ってなくても「怒っちゃった?」とか訊かれると頭にくるものです。場の空気とは認識や判断の対象ではないんです。ただ、そこで感じられるものです。
場は人間が意識的にコントロールできるものではありません。無意識に感じてゆくしかないものです。そして、時にそこで必要な行動は意外なものかもしれません。もし、その場からすると意外な行動を「すべき!」と感じたら、するのがベストです。「変かな」とか思っても、それを本当に感じているならやるべきです。その場は、その意外な行動を求めていたのです。
場の空気に対する、積極的な自由で意外なアプローチ。これが大切です。