2007-02-02

奇跡のための祈り

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ただのきちがい

***
慈しみは何も生まないかもしれない。
慈しみが何かを生むとすれば、
それは奇跡なのかもしれない。

そうだったら、なおのこと、
慈しまずにはいられない。




言葉は何も生まないかもしれない。
言葉が何かを生むとすれば、
それは奇跡なのかもしれない。

だからこそ、なおさら、
語らずにはいられない。




生きることは何も生まないかもしれない。
生きることが何かを生むとすれば、
それこそ奇跡なのかもしれない。

そうだから、なおのこと、
生きずにはいられない。




道は遠く、日は暮れて、
どこにも辿り着くことはないのかもしれない。
そう。
道が達することは奇跡なのかもしれない。
立ちつくす方が利巧なのかもしれない。

だからこそ、どうしても、
歩かないなんて、考えられないじゃないか




全ては無駄なのかもしれない。
無駄じゃないことなんて無いのかもしれない。

そう。だから、やっていくしかないんじゃないか?




どうだろう?

生きぬくしかないんじゃないか?
言葉をかけるしかないんじゃないか?
哀れみ慈しむしかないんじゃないか?
感謝し喜ぶしかないんじゃないか?

どうだろう?

歩き続けるしかないんじゃないか?
道を往くしかないんじゃないか?
やってゆくしかないんじゃないか?

ただただ、奇跡を求めて
ただただ、なすべきことをなすために




祈りは何も生まないだろう。
何かを生むとしたら奇跡なのだろう。

だから、祈らずにはいられない。




この祈りは何も生まないだろう。
この祈りが何かを生むとしたら、
それは奇跡だろう。

そのために、この祈りを捧げたい。