2007-02-08

[書評] やさしいバイオテクノロジー / 芦田嘉之

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なんというか、読後の印象は悪かった。しかし、それをどう言葉にすればいいのか、と考えるとこれがなかなか歯がゆい。陳腐な表現だが魚の骨が喉に詰まったようで、なかなか言葉が喉から出てこない。

ただし、この本の出来が悪かったからというわけではない、この本自体の出来はまあまあだ。そうじゃなくて、どうもこの「バイオテクノロジー」「遺伝子組換え」ってやつが、最後の最後で「あー、やっぱやだな」という気分になってしまったのだ。

ちなみに今までの私は「遺伝子組換えだから」とか言う理由で消費選択をしたことはなかった。ところが、「安全です」と書いてあるこの本を読んで「あー、やっぱ買うのよそうかな」という気分になった、作者には大変申し訳ないのだが。

なぜか? それは以下の文章による。

もし自分のクローンを作るとするなら、ありのままというより欠点を改善したいと思うでしょう。あるいは長所をより伸ばしたり、特定の能力が優れたクローンを作ろうと思うかもしれません。今の技術力でもそのような夢は原理的に実現可能です。ES細胞は培養できます。ということは、遺伝子組換えが可能です。つまり、自分と同じゲノムを基本形にし、一部の遺伝子を改変したES細胞を作り、体細胞クローン技術を使えば、改良したクローン個体を作ることが出来ます。もちろん、このようなヒトの遺伝子を改変することや、そのクローン個体を作ることは倫理的に許されませんし、法律でも禁止されています。
うーん、私の個人的な意見として、つまり、ぼやきとしてですが、いけないよ、そういうの、とか感じてしまう。まあ、作者も「倫理的に許されません」と書いているのだから私と同意見なのだろうが、なんというかこの文章から匂う「やっていいなら、やりたい」というような思いを感じざるを得ない(「~と思うでしょう」とか「夢」という言葉の使い方から)。

こういう作者の姿勢を感じただけで、どうも「いやだなー」という気分になってしまった。それに引きつられて、遺伝子組換えとかもやだなーという気分になった(まあ、論理的でも説得的でもないただの個人的な感情、ぼやきなので私と対立する意見の方は反論とかしないように。ちなみに明日には気分は変り、従来どおり遺伝子組換えとか意識せずに暮らすことでしょう)。

まあ「バイオテクノロジー」に対する立場はここで議論する気も無いので話題を変える。

本作りに関してはまあぼちぼちだと思う。新書サイズの206ページ。目次が3ページに索引が二ページ。8冊の教科書のみだが参考文献もついている。本文とイラストが半々になっていてイラストなどはカラー。デザインとしては良く出来ていると思う。

けちをつけるとすれば、まず紙質が他の新書ほどよくないこと。洋書のペーパーバックの紙みたい。

あと、最近多いんだけど、太い帯がついていること。これ外すには大きすぎるし、帯なので外さないと読みにくいと個人的には「やだな」と感じている。まあ、外して捨てれば良いんだろうけど。

ついでに、疑問というかなんというかと思ったポイントを書いておく。

まず以下の記述が気になった。

生物が生物から誕生し、新しい種も「進化」により誕生したことは今や理論ではなく事実です。
その次のページでは以下のように書いてある。
創造説は検証も反証も不可能なため、科学で取り扱うことはできないからです。科学的であるためには反証可能性が必要です。反証できないものは科学の範囲外です。全能の絶対神がこの世と生物などありとあらゆるものをお創りになった、というのであれば、そうですかと受け入れるしかなく、反証しようがありません。
なんというか、「事実」と書いちゃいけないんじゃないだろうか。言葉の問題に過ぎないと言われればそれまでだが、進化論だって「科学的」なんだろうから、そうであれば「反証可能性」があるということになる。ところで、「事実」というのには「反証可能性」はないはずだ(疑いが差し込めるような判断は推論や理論である)。ここらへんが私には矛盾した物言いにしか思えない。

こうした「事実」と「理論」や「概念」との混同が随所で目に付く。まあ、分かりやすい本にしようとの配慮なのかもしれないが。例えば「遺伝子」が「概念」であり「情報単位」だという説明が弱かった気がする(つまり「情報」でなく「モノ」「実在物」に読める文が多い)。

例えば、音楽やCDというものを知らないヒトに「このCDいいんだよ」とか言うと「ん?このCDというモノはいいモノなんだな? 光加減とかか?」としか思わず、中の音楽がいいとは考えないだろう。またそのヒトに「この中にね音楽が入ってるんだよ。CDはその器。その音楽がいいと言ってるの」とか言っても「ふむ。このCDの中には音楽というモノが入っているのか。それはやっぱり光るのか?」とか考えるだろう。

遺伝子を情報、それもタンパク質などを生成するための有意味な情報とか最初の方で強く書かないとDNAとの関係で意味がわからなくなりそう。いや、この本の説明が悪いとか言いたいわけじゃないんだけど……。

あと冒頭は「生命」や「生物」「死」が定義できないと書いて始まるので「お、謙虚だな」と思って読んでいたら、こんな文にぶつかった。

なんだか見もフタもない話で始まりましたが、大丈夫です。定義できなくても説明するのが科学なのですから。
おいおい、とか感じてしまった。

そして次のページを開くと生物の分類の基本となる単位の「種」の説明に入るのだが、そこでも「実は、その定義もはっきりしません」とくる。更に

近年、植物が持つ葉緑体ゲノムの遺伝情報を解析することにより、新しい分類学が誕生しつつあり、その解析結果によると、子葉の枚数はそれほど根幹の分類には使えないことが明らかにされています。
とくると、「高校の生物の勉強はなんだったんだ?」とか思ってしまった。

ところで、これはけちつけようとしてるんじゃなくて、単純に驚いたのだが、発ガン物質の割合を「食品とくに植物由来」「タバコ」「放射線、ウィルス、その他、環境、セックス」のそれぞれが三分の一ずつであり、「残留農薬、食品添加物」は無視できるレベルと書いてあった。そんなにタバコと植物ってのは悪いもんかと驚いた。あとで調べてみたい。

最期に遺伝子とは何かについてはてなから引用しておく。なんというか、まあ、私みたいにセンターで生物つかってすっかり忘れた人間には以下のような説明というか定義が必要だった。んで、その定義も流動しているのが本書の最期のコラムで分かった。

遺伝子 - 生物の遺伝情報の単位。

元々はメンデルの法則を説明する仮想的な単位であったが、後の研究によりその実体がDNA*1であり、その情報はDNA上の4種類の塩基(A、T、G、C)の配列によって規定されている事が明らかとなった。

狭義には mRNA tRNA などに転写される単位(構造遺伝子)を示すが、それらの転写を制御するための領域も含めることもある。 簡単に説明するならば、1種類の遺伝子には、1種類のタンパク質の設計情報*2が収められていると考えるといいかもしれない。

んで、最期のページのコラム「RNA新大陸発見」。
1つの転写単位が1つの遺伝子で1つのタンパク質を作るといったかなり古い概念は完全に崩壊し、1つの転写単位から種種の転写物が合成されることが分かってきました。これらの新発見が正しいのなら生物のゲノム単位での解析の考え方を大きく変える必要があります。ゲノムレベルでの解析には、主として塩基配列や遺伝子部分の相同性を調べるだけでなく、タンパク質に翻訳されない膨大なRNAやそれらが複雑に絡み合っていると思われるネットワークまで解析することに目を向ける必要が出てきました。遺伝子組換え食品などを作るときの遺伝子挿入部分も考慮する必要が出てきます。なぜなら、従来の考えでは、いわゆる「ジャンク」の領域に挿入するのなら、ゲノムに大きな影響は無いと考えられていましたが、、新大陸の発見により「ジャンク」領域が狭められたことから、挿入部分が限られてくるからです。

なんていうか、この最後の最後で「じゃ、今の遺伝子組換えじゃ不安ありってことじゃん?」という気分に落とされる。遺伝子という概念すら動揺しているんじゃ、まだバイオテクノロジーは始まったばかりなんだな、と実感させられる。


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