2007-04-21

ノートの取り方(1)

ノートの取り方については ノートの取り方(2) 8つのルール にて、もっとコンパクトに書いたのでよろしければご参照下さい。

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冒頭から他サイトからの孫引きで恐縮だが、アランは『教育論』において

何度も読むこと、暗誦すること、さらにいいのは、ゆっくりと、版画家の慎重さで書くこと、立派なノートに、美しい余白をとって文字を書くこと、充実した、均衡のとれた美しい文例を筆写すること、これこそ、思想のための巣をつくる優れた、柔軟体操である。
と語ったらしい(林明夫, 「ノート」の作り方を考える──役に立つノート作りの基礎知識. 開倫塾)。現代の若者の一番の贅沢は、こうしたノート作りと言えると思う。紙もインクも安いものであり、若者が本当に充実した一生保存するに値する美しいノートを作成するのを妨げるものは何もないだろう。

ノートは実用的

そして、そうしたノートは贅沢なだけでなく、有益であり、受験などというセセコマシイ目的に対しても効率的だと私は思う。

もちろん受験に学校の授業ノートを使うという発想は、私の学生時代にはあまり一般的ではなかった。せいぜい中間や期末テストの時に利用する程度で、受験にそうしたノートを利用するなどという発想は誰も持っていなかったように思う。現在も同じだろう。

しかし、以前にも以下のように述べたように、日々の授業のノートを利用するのは、とても有益だと私は考えている。

日々の授業はとても大事であり、ノートは宝である。

一年生の時から三年生の時まで、きちんとノートを取っておいて、それを全部きちんと机に並べておけば(三年間のノートくらい並べられる大きさの机がなければ、親に泣きつくこと!)、無理して復習なぞしなくても、無意識に「ああ、このノートにはあんなこと書いてあったな」と脳味噌が勝手に復習してくれるのであり、これはとても重要な勉強法である。

そして気になったらたまにパラパラめくればよい。大学ノートは通常30枚の紙切れの集まりであり、パラパラやるのに時間はかからない。何回かやっていれば自然に頭に残っている筈だ。これで学校のテストも大学入試もほとんどいける筈だ。(digi-log: 知的生産の技術 / 梅棹忠夫 (1969))

一度コストを掛けて入力した情報を使い回すメリットを列挙してみると
  • 知識を生活の思い出が強力にサポート:くだらん記憶ほど想起を補助する。「確かあの時……」という人間の優れた時間的把握能力を利用
  • ノートに日々接することで身体化:「確かあそこの……」という人間の優れた空間的把握能力を利用
  • 教育費節約:塾も参考書もいらない
  • 繰り返し読むことで、一回の読み速度はどんどん向上する:自然速読。パラパラで十分
などが思い浮かぶ。

こうした効率を一度でも意識したら、ノートを書き捨てているのは勿体ないと思う。

いかに書くか - コーネル大学式ノート作成法を参考に

こうした勉強法には、それなりのノート作りの姿勢が必要になる。真に長い付き合いができるノートとは絶対に追記可能でなければならない。

ここでアメリカで最も広く使用されているらしい「コーネル式ノート・システム (The Cornell Note-Taking Sytem)」(あるいは、コーネル大学式ノート作成法)を参照しておこう(Brigham Young University, Learning Strategies - The Cornell Note-Taking System)。この方法はコーネル大学の Walter Pauk に開発されたもので、紙面を三分割して、授業後の追記に対し十分に備えた方法である。詳しくはリンク先を参照してもらうとして、その手順は以下の6段階からなる。

  1. Record 授業を記録
  2. Reduce(Question) 知識をキーワードや質問の形式に絞り込む
  3. Recite 質問や答だけを見て答を暗唱
  4. Reflect 内容を熟考
  5. Review 復習
  6. Recapitulate 要約
そして、それを以下のように分割したノートに書いてゆく。

2. 知識をキーワードや質問の形式に絞り込む
3.質問や答だけを見て答を暗唱
1.記録
4. 内容を熟考
5. 復習
6. 要約

これはノート法というより勉強の流れそのものと言えるかもしれない。

まず授業を記録してゆき、次に横の空間に、ノートの内容が答となるような見出しや質問を作成する。ノートに「ヨガとは心の作用の止滅である」と書いてあったら、例えば「ヨガとは?」って書いておく。

そして、本文のスペースを隠しておいて、見出しや質問だけを見て、そのノートの本文を唱える。つまり「ヨガとは?」という質問だけを見て、「あー、心の作用の止滅……だったよね」みたいに。こうして記憶を定着させる。

後は、本文を見て復習したり、その内容が何を意味するか、他の知識との関係はどうかを考え、調べた情報などを書き加えてゆく。そして知識が総合的に定着したら、要約を下のスペースに書いておく。

見て分かる通りに、1のrecord以外は授業の後の作業である。ノートは記録した後からが勝負なのである。以上の作業を続けてゆき、ノートとつきあう中で学習はおのずと定着してゆくのである。こうしたノート作りは、それ自体が完結した優れた学習システムであると言えよう。

ノートと長く付き合う

そして長年付き合ったノートは捨ててしまうのではなく一生取っておけたらよいと思う(私は捨てたが)。高校程度の知識は常識なので、案外思い出したい時がくるものである。ネットがあればいいという説もあるが、馴染んだノートを利用するというものいいと思う。また大学の授業も当然、キチンとノート作りしておいて一生使えるようにすると有益だと思う。

話はこうした「公式」なお勉強だけではない。

広く自分の日記や雑記、備忘録、読書録、アイディア帳なども管理できているとよいと思う。ただ一度書いて、あとは捨てるというのはもったいない。資源や時間は有効に利用していものだ。それに人間同じような問題を周期的に悩む傾向があるので、記録があると結構簡単に問題は解決に向かい、過去の経験をいかした進歩ができるものだ。

また、こうしたノート法は書物やテキストを利用した勉強にもそのまま応用できる。今度は書物を自分のノートと思い、変更を加えて付き合ってゆくのだ。サブノートを作るのなら、元の本を「ノート」にしてしまった方がよいと思う。書物への書き込みも、「いや、これはノートなんだ」と思って書くと身に付くものである。

ただし、そうした勉強のためにも、自分でノートを取るという基本のテクニックを身につけている必要があると思う。授業ノート作りやサブノート作りがしっかりできる能力がある上でないと、問い掛けや要約を作ることはできないだろう。そのためにも、早いうちにメモ程度のノート作りの段階は脱却して欲しい。

大学ノートに一つの主題を語ること

最後に、もし君が高校生なら、長い長い文を一冊の大学ノートに書くことをお勧めしておきたい。日記のような雑多な文の集合ではなく、ある一つのテーマについて思ったことを、一冊の大学ノートに綿々と書き連ねてゆくのだ。若い内なら書けば書くほど書くことが湧いてくると思う。誰に読ませるものじゃない。恐れ知らずに、論理も説得力もなく、ただただノートに書いてみるといいと思う。この時、ルーズリーフとか原稿用紙では駄目だ。勿論、鉛筆じゃ駄目だ。ボールペンか万年筆で、いかなる「編集」も許さない状態で、綴じた大学ノートにびっしりと書くことである。

私は高校時代から大学の夏休み前にかけて(夏休みにPCを購入しそういう営みは絶えた)こうしたことをよくしていた。B5のノートの表紙に例えば「美について」と書き、アウトラインも構成も何もなく、ただただ書いていった。前日に書いた所を次の日に目を通し、再び書き継いでいった。ただ連想というか内部の思索的な声にのみ従うのである。

何日かするとノートは書物のような雰囲気を出してくる。というのは、ある分量を過ぎるとパっと眺めて全体が把握できなくなるのだ。自分の書いている、自分の思索であるのに、自分で把握できなくなった瞬間に、ノートが書物に化けるのである。構成も何もないから論旨は滅茶苦茶で入り組んでいるから「把握」ができないのは仕方ないにしても、たかだか自分で考えていることの全体が把握できなくなるのは何とも不思議な体験であった。

こうした営みは無駄に思えるかもしれない。事実、PCを購入した18の私は、PCの編集能力の高さにひきつけられ、大学ノートを捨てた。大学ノートに書きつけられた無数の言葉はあまりに再利用しずらかったからだ。端的に「非効率」と当時の私は感じた。次第に大学ノートは私の視界に入らぬようになり、最低限の日記くらいは保存しておいたが、高校時代からの「音楽」「文学」「哲学」などに関する大学ノートのほとんどは紛失してしまった(日記的文書も3、4割は紛失したと思う。授業のノートも捨てた。また、高校時代に原稿用紙やルーズリーフ、破ったノートなど「紙片」に書いた文書は例外なく紛失した。綴じないと紛失するものである)。

しかしながら、いま思えば、ああした編集性のない、ただただ、ひたすら言葉を紡いでゆく作業というのは、なんと言うか、美しかったような気がしている。変な文だがそう感じる。大学ノート一冊に、十代の熱意のままに美や善を語り抜いた大学ノートは、今となればどんな書物よりも手にとりたい書物である。

もし、君が高校生ならPCなんてスケベな道具は使わずに、良質なボールペンあるいは万年筆と、良質なノートを買って来て、編集性のない環境でひたすら目的もなく、ただ一つのテーマについて語り抜いてみるとよいと思う。そしてそうしたノートを大切に保存し、たまにパラパラとめくり、書き込みをしてゆくとよいと思う。そういう能力や感性が、とても大切だと思うし、そうした行為は若い内しかできないものだ。

保存について

高校生のための読書法(2) 本の読み方と題する文書で以下のように書いたので参考にされたい。

書式とか、そういう小細工を教えるのは嫌だが、一つだけ教えたいことがある。それは三冊を一冊にまとめた方がよいということだ。大学ノートが三冊くらいになったら表紙を破り捨て(いや、綺麗に取ってもいい)、ノリで三冊をくっつけて、ホームセンターで買って来た製本テープを背表紙に貼るとよい。大学ノート一冊では薄過ぎるので紛失の可能性があるからだ。是非、やっておいた方がよい。俺は何冊ものアホなノートがどっかに行ってしまい、いつか家族に発見されるのではないかとヒヤヒヤしている。そんな不安は君たちにさせたくない。
事実、30枚の紙の束でしかない大学ノートは薄すぎて背表紙を作れないので、三冊程度をまとめて製本テープを貼って背表紙を作り、タイトルを書いておいた方が見栄えもするし、管理も楽である。ノートのくせに書籍のような雰囲気を出すので気分もよいはずだ。