発芽玄米を私は初めて体験した。初めてなのに、どこか懐しい。
普段話さない父も「玄米は昔食べた。あれは腹を下しやすいから……」などとブツブツ言いながらも少し食べ、「そういえば、俺が子供の頃は……」と、いつになく昔話を始めた。
玄米パン、玄米茶……素朴で懐しい響きである。
ゆっくりとしっかりと米を噛み締めてみて欲しい。ほんわかと茶色い玄米の一粒一粒に忘れてた味、夏の夕暮れの味がすると言えば、読者には笑われるか。
ゆっくりと、しっかりと、一粒一粒、私はしばらく玄米を食べ続けてみたい。
発芽玄米普及プロジェクトの発芽玄米普及ブログキャンペーンに当選し、発芽玄米1kgを送付していただいた。
まずパッケージである。
言い方が悪いが「ウリ」は健康である。通常の玄米よりも「ギャバ」という栄養素が豊富の摂れると謳っている。
また、以下の全27ページのリーフレットも付属していた。玄米の健康面での長所、炊き方、レシピなどが紹介されている。玄米生活を楽しくしてくれそうである。
さて、そうした玄米を炊いてみた。玄米だからといって炊くのは簡単である。白米の時より水を多めにする程度であり、白米と手間は変わらない。
ご覧の通り、全体的にほんわかと茶色い。懐しい夕暮れの色である。
一口たべてみる。
硬い。一粒一粒がきちんと口の中で存在を主張している。穀物を食べている、という実感が湧いてくる瞬間である。
そうした玄米をゆっくりと咀嚼する。そこには米をしっかりと「潰した」という実感がある。
風味は白米の比ではない。しっかりした骨格と風味、自然を生き抜いた「野生」すら感じると言えば大袈裟か。
とても素朴な味である。癖があるとかそういうことは全くない。玄米茶が普通に飲める人なら、おいしく食べられると思う。
しっかりと米を噛むこと
「こめかみ」という言葉がある。私たちの祖先は硬い米を食べる中で、咀嚼時に動く部分をそう読んだ。
ふと、そうした古代の祖先に想いがゆく。
なぜ、顎ではなく、こめかみが動くのか。ご存知の通り、こめかみは顎の上に位置し、普通の食事の時に動いているという意識はそれほどない。事実、柔らかいもや大きなものを食べる時には、こめかみはほとんど動かない。白米ではこめかみが動くほどに噛み締めることはないだろう。
こめかみが動いたのは、米が固く、細かかったからである。しっかりと噛み締めねばならなかったが故に、こめかみが動いたのである。同様に「噛み締める」という言葉も、何か大切なことを自分に取り入れるという意味である。
古代の祖先は、「こめかみ」がしっかりと動くように食事をし、しっかりと噛み締めて生きていたのであろう。それに比べると、現代のこめかみはおろか、顎すら退化するほどに「噛み締めない」食事とはいかがなものかと思わずにいられない。
顎が細いと現代の子供を嗤うなら、風味も歯応えもない白米やパンの代わりに、本物の風味を備えた玄米やパンを与えるべきでなかろうか。ちなみに、歐州の本物のパンの風味や歯応えは堂々たるものである。学生時代にドイツからの友人には「日本のパンはスポンジのようだ。それも、やたらに歯にニチャニチャとからみつく。パン自体の味に乏しい」と嗤われたことも思い出す。「そんなに柔らかいものばかり食べて問題はないのか?」
確かに噛むことの健康面での重要性は多く指摘されるところである。PL広島情報局: 楽々ツボ教室: 頭痛にこめかみには
こめかみには、三つのツボが縦に並んでいて、頭部の血液循環と密接な関係にあるところです。(……)玄米、たくあん、するめいかなど、時間をかけて奥歯でしっかり噛んで食べると、こめかみの筋肉が働いて、頭部の循環がよくなり、頭痛の予防や解消に役立ちます。とある。実際、きちんと噛んでいればこめかみあたりの頭痛の予防にかなりの効果があるだろう。
以前にも[書評] 日本人の正しい食事 - 現代に生きる石塚左玄の食養・食育論 / 沼田勇にて
日本人と欧米人は身体構造も食の伝統も異なるのであり、食文化の安易な追随は日本の食文化の破壊のみならず、日本食が育んできた健康すらも破壊するやもしれない。と書いた。
今も考えは変わらず、その思いは確固としたものになるばかりである。日本人なら、こめかみが動くほどにしっかりと米を噛み締めながら生きてゆきたいと私は思っている。まあ、読者がそうした私の無益な叙情を笑わないでくれれば、幸いである。
ただ、読者も「日本人の正しい食事」を試してみてはいかがだろうか。懐しいが、新鮮である。
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