2007-10-13

歌舞伎の道に進んだ友人

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本日は近くで秋祭りが行われており、会社の帰りに彼女と待合せ、神社にて神楽を観ることにした。そういえば歌舞伎の道に進んだ友人がいたことを思い出した。すっかり忘れていた。

彼は日系アメリカ人で、UCLAからの留学生だった。私の大学では、日本に不慣れた留学生の面倒をみるために、日本人学生を「チューター」として紹介する制度があり、私は彼のチューター」だった。

まあ、チューターとはいえ、彼は優秀だったので、日本語の面でも私が教えるようなことはほとんどなく、実生活の面でも、少々の事務手続を手伝ったくらいのものだった。まあ、渋谷のクラブで夜通し遊ぶ程度のことしか教えられなかった。いや、そこでもLAのクラブに通じている彼からは選曲や店のデザインの駄目出しばかりだったか。

そんな彼は歌舞伎に興味があり、留学生のまま歌舞伎の門を叩き、結局、UCLAを辞めて歌舞伎の世界へと行ってしまった。その時の入門に際しての文書を手伝ったのは、実にいい思い出である。なにせ歌舞伎の世界に向けた文章なのに、彼はいかにもショービジネスを成功させるビジネスマンのプレゼンのようなものを書いたので、内心かなり失笑しつつ文体や構成を手直した(ただ、「歌舞伎スター」という彼の言葉だけは面白いので残しておいた)。

私はそんな彼のことを今日まですっかり忘れていた。グーグルに彼の名前を打つとヒットがあり、Cultural News, July 2007, Japanese Summaryというページのロサンゼルス生まれのアメリカ人歌舞伎役者が、里帰りという文書で彼の消息が知れた。

東京を去った後の彼の動きは以下のようであったとのことである。

大阪の松竹上方歌舞伎塾の入門試験に合格、2年間の研修生となった。塾を卒業後は、歌舞伎役者、坂田藤十郎に気に入られて、坂田が率いる近松座の座員となった。金坂は、現在でも近松座の一員ではあるが、海外公演のときに一座に参加することになったため、活動の中心をロサンゼルスに移した。

坂田藤十郎といえば歌舞伎の人間国宝で、例の「中村ガウン治郎」のことである(wikipediaを参照)。どうも順調に「歌舞伎スター」の道を進んでいるようである。

ところで、金坂は現在 中村雁京と名乗っているようであり、まあ、しっかりと「ガウン」の方も引き継いでいることだろう。いや、失礼。

日本では、伝統芸能への関心が急速に衰えていることを心配している。日本の伝統芸能に関心を持つ外国人が日本に来て、伝統芸を受け継ぎ、日本人に教える時代が来ている、と感じている。さらに、時代が進めば、日本人が、日本の伝統芸能を学ぶために、海外へ出かける時代が繰るかもしれない、という大胆な予測も立ている。

なるほど、大胆ではある。が、彼の言いそうなことである。飲み歩き、踊り明かした始発の電車で、さらにしぶとく芸術について語り合ったことを思い出す。

そういえば、今日は神楽を観た訳だが、観客が実に少ない。偶然通りかかった人も、足を止めることもしない。舞台表現の鑑賞能力はそれなりの年齢を重ねないと理解できないのは分かるのだが、明らかに普段テレビなどで流れている「音楽」よりも優れた音響表現にしても理解する耳はないようである。

(いや、この書き方はまずいな。別に趣味の問題であって、責める気はありません。ちょっと古典教養を知ったかぶりになっているイケ好かない奴だと思って笑い飛ばして下さい。)

まあ、そういう一般的な人が古典芸能を何故か好まないという謎は置いておいて(そういえば、以前、一流のヴァイオリニストが一流の楽器で一流の音楽をN.Y.の地下鉄で演奏するという実験があったのを思い出す)、このままでは演奏の側の高齢化が進み過ぎて、既に後継者を育てる時間も残されてはいないのではないかと思う。

私は(まあ、やったこともあるし、観るのも観るのだが)舞踏のことは分からないのだが、土着の音楽性を育てるのがどれほどに困難かは理解しているつもりである。まず、二十を過ぎてからでは無理と言ってよいと確信している。そして、一度、世代断絶をしたら、まあ二百年程度は趣向の回復にはかかるのだろうと無根拠に感じている。

人の営みの前に、人間の寿命のいかに短かいことか、と。

逆に言えば子供の時からやっていたら困難はない。今日も小学生ほどの子供が鐘を鳴らしていたが、実に大したものであった。たまに隣を向いて友人とおしゃべりをしながらの演奏なのだがブレることはない。周囲の大人の太鼓や笛が安定しているからとも言えるが、それにしても彼らの中に音楽が入っているからできる技である。彼らにとって、ブレることを心配する必要はない。自然にやれば、目をつぶってでも、おしゃべりをしながらでも、土着のビートを刻むことは朝飯前なのである。

しかし、こうした文化継承の質も量も低下していることだろう。まあ、こんな嘆きも意味がないか。

ただ、そうした文化継承の中に、非常にやる気のある外国国籍の人が増えている。彼らのやる気はすごい。とてもじゃないが、いやいややっている日本人では追い付けないだろうとも思う。金坂の歌舞伎熱はすさまじかった。

Youtubeに彼の演技があった。是非、見てあげてほしい。思う人ならば、思う所があるだろう。それにしても、数年ぶりに友人の映像を見て熱くなるものがあった。

高校時代の後輩で、本当に天才的な音楽的能力を持つ男がいるのだが、芸大の院を出た後には作曲家にならず(まあ、「なれず」)、電通に行くと聞いてガッカリしまくった後だったので尚更嬉しかった。

そういえば、日向の琵琶盲僧 永田法順は、どうなったろう。彼の唄は、その受け継がれた土地の営みの響きは、本物のブルースであったのだが。まさに、「ブラインド……」の世界である。

彼を最後に日向盲僧琵琶の系譜は本当に終わってしまうのだろうか。まあ、そうなのだろう。諸行無常とはいえ、実に惜しい。

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