2008-01-09

予定を立てること

正月に痛く痛感したことがあるので、愚痴だが書く。

世の中には二種類の人間がある。予定が立てられる人間と、立てられない人間だ。実は私は「立てられない」方の人間であった。しかし、最近は「立てる」人間になり、立てられない人間と一緒に行動するのが苦痛でたまらない。言葉の壁より、予定を立てられるか立てられないかの違いの壁のほうが、重要な壁に感じる。

予定が立てられるというのは、自分の行動の見積もりができるということである。例えば、人と夕食をとることにしよう。そのとき突然に、その夕食の後に会いたいという連絡が入ったら、予定が立てられる人なら、夕食の時間を見積もり、移動時間も含めて十分余裕のある予定を組み、夕食を共にする人にも一緒にすごせる時間をことわるだろう。

予定が立てられない人というは、行動の見積もりができない。先の例であれば、夕食の時間がどれくらい掛かるか分からず、連絡をくれた人にはいい加減な返事をし、夕食を共にする人の前で、その後に会いたがる人からの急かす電話を受けることになる。

予定が立てられず、常に次の予定に急かされている人を見て、私は自分が予定を立てられる人間でよかったと思う。

とはいえ、予定を立てるのは難しいことではない。行動にかかる時間を見積もる習慣の有無の差であると思う。例えば、食事にどれくらいの時間がかかるかを把握したり、それがどのような形態(例えばコース料理を食べるか、牛丼を食べるか)だとどれくらいかを日ごろから把握しているというようなことだけである。また、特に酒を飲んだ場合には、話す内容がある場合などで、見積もりをすることになる。

特に話にどれくらいの時間を掛けるのかは、話す内容も規定する。同じ内容であっても、三十秒、三分、三十分、二時間では、同じ内容ではないほどに伝達される内容の意味が変わってしまう。変なタイミングで長い時間を掛けるべき話題を選んでもだめだし、逆に長く話せるときに短い時間で十分な話題で引っ張ってしまうと無駄な気分になる(酒をのむとやりがちな失敗である)。

私は人と話す前には、話題と時間の目安を予めメモ帳に準備しておくことにしている。もちろん、メモ帳とにらめっこしながら話すのではなく、漠然と頭に入れておいてその場の流れで話題は変わるのであるが、ちょっとした間にメモ帳を見て、話し忘れた話題がないかを確認するのに使っている。これで、人と話して変な間ができたり、逆に無為な空談に時間を使い、話すべき話をするのを忘れてしまうことがなくなった。さらに、予め時間を見積もってあるので、切り上げるタイミングも明確であり(最初に「じゃあ、今日は何時まで」言ってある)、だらだらとすることもなくなった。

ほかに、見積もりというのは大げさだが、トイレに掛かる時間を見積もっておくのも重要だと思う。あと数分で電車が来るときに、トイレに行けるかいけないかという場面は多いと思うのだが、たまにそうした判断ができない人がいる。これはトイレが実はそれほどに時間をとらないことを知っていれば解決する問題だと思う。

ところで、予定を立てるようになると、予定を立てられない人間と一緒にいるのがつらくてたまらなくなる。事前に何時に終わるのか分からない飲み会がつらくてたまらない。

このところ二連続で昔の友人と部屋呑みをしたのだが、いつ寝られるのかが気になるし、まあ、それはそれとしてせっかくの機会だからとその場に集中しているのだが、なんとなくだらだらとメールをしたり、ほかの作業をされたりすると、「俺が折角時間を割いているんだから、そんなことは別れた後でしてくれ」と殴りたくなる。というか、殴ってしまった。うーん。

やはり、集合時間を守らないやつは付き合えないし、集合したらその場に没頭して、解散時間にはさくっと別れる、こういう関係でいたい。だんだん、年をとると若いころのように体力勝負でだらだらとしてるのはつらい。