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メールボックスを開くと送信者不明のメールがあった。件名は「連絡」とある。開いてみると訃報だった。
通夜に行く前に、少し書いておく。
亡くなったのは私の中学校時代の部活の先輩、四つか五つ上の女性である。まだ若い。確か数年前に結婚してお子さんができたばかりと記憶している。
彼女のことを思い出す。芸術家肌の人だった。気性は激しく、体を壊しそうなほどギターの練習をしていたのを思い出す。実際、彼女は腱鞘炎になり、ギター演奏の道は諦めた筈である。確かその後は絵を描いていたと記憶している。
私も彼女からは様々に影響を受けた。当時の私にとって、それも中学一年生の私にとっては、いかにも大人の女性として印象付けられている。考えてみれば十二歳の私に対し、彼女は十七歳だった。それも、普通高校を出た後で、ギターの専門学校に通っていたのだから、その印象はきわめて強いものだった。服も髪型も化粧も、幼い私には強い印象を与えた。
彼女は少なくとも月に一度は母校である私の中学校を訪問し、熱心に指導してくれた。彼女に楽譜や教則本を借りたことも一度や二度ではない。お部屋にも入らせていただいた記憶もある。机の横に絵が掛かっていた。確か、彼女が高校生のときに描いたものだった。当時は良く分からなかったが、いま思えば芸術的に優れた絵だった気がする。
当時、週に一度のペースで来てくれる講師と付き合っていたことがあった。そのことに絡みつつ、部活内の運営に様々な問題があって、私の二個上の先輩の気性が激しいこともあり、問題は大きく膨れ上がったことを思い出す。
私の人生にとって、芸術と恋愛や友情となどの問題が具体的に初めて浮上したのは、この中学校の部活動であり、その中でも彼女の存在は大きかった。
彼女の演奏は一度だけ聴いたことがある。独奏のコンクールだった。演奏は優れていた。しかし、彼女は緊張のためか、曲の繰り返しを飛ばしてしまった。結局、不自然に短い時間で曲は終わってしまった。立ち上がった後の、彼女の笑顔と、シャープなステージ衣装がライトに照る様は、強く私の印象に残った。それを最後に彼女は演奏をやめたような記憶があるが、定かではない。
考えてみれば、昔に世話になった人のことでも、知らないことばかりだ。もう彼女とは話せないのに。
千葉は雪である。母に通夜のことを告げると「葬式の夜に降るものは、死んだ人の涙なのよ」と顔に似合わず洒落たことを言う。
さて、そろそろ着替えることにしよう。