前回に続いて文具について。今回は文具と筆触、思考について思うところをメモ。
優れた筆記用具とは、より少ない労力で、より美しい書きぶりを実現するものであるべきだと思う。
少ない労力とは軸の形状、質量、重心、太さはもとより、インクフロー、ボールの転がりやすさ、さらには価格、入手しやすさ、携帯のしやすさまでが問題となるだろう。一方で、美しい書きぶりには、筆跡の明瞭さ、書字ニュアンスのつけやすさなどが上げられると思う。
その点で多くの筆記用具、少なくともシャープペンシルと油性ボールペンはまず「書くための」文房具のリストから外すべきものだと思う。両方とも書くときの疲労が激しい。ただし、両方とも用途はある。例えば、伝票を書くのに油性ボールペンは必須だ。
また美意識は多様であり †、薄い筆跡を好む傾向が私の時代にもあった。硬く薄い H や 2H シャーペンの先で、小さくかすかに慄えるだけのような痕跡を刻むのが美しい文字という美意識がありえた。こうした美意識には限りなく薄く、淡い筆記用具が求められる。
ただし個人的には、これは筆跡の消去、あるいは文字の機械化と、それに伴う手書きの喪失そのものを喜ぶような美意識であると思う。端的に、私はそれを美しいとは思わない。
明瞭で濃く、滑らかで柔らかい書き味と書きぶりを私は好む。ちなみに私は書が分からない。ただの好みだ。それでもこうした「文字情報」以外のものが、結構いろいろと影響するのではないかと感じている。