前回に続いて私の文具の遍歴を綴ってみる。今回は大学生になりコンピュータと出会ってからの時代について。「情報処理」による「思索」や「筆記」に対する影響は絶大だった。
前々回に紹介したゲルインクと大学ノートという時代は突然に終止符を打つ。私が1999年の夏に「情報処理」つまりコンピュータに目覚めたからだ。
「情報処理」概念は私のたどたどしく慎ましい「思索」の生活を吹き飛ばしてしまった。事実、私は書き抜き、思索、詩、メロディーなどを雑多に大学ノートに書くことをやめてしまった [a]。私はキーボードを叩きデータを入力するようになっていた。
もちろん入力が楽しかったのではない。情報処理が楽しかったのだ。だから「入力」としての自分の思索は極端に減った。同時に「記憶」よりも「記録」に頼ることになり、読書はしても読解したり、その内容と喧嘩することが減った。
逆にプログラミングやアルゴリズムを学んだ。収集・蓄積したデータをスクリプト的に処理(検索/置換/ソート)することは、僕にとってあまりに魅力的だったし、ある程度のプログラムが、データを処理するさまにはくらくらと眩暈がした。
私はスキャナーとOCR(光学的文字認識)ソフトを買い、ヘッドマイクと音声認識ソフトを買った。全てを情報処理可能にしたかった。CD は mp3 や flac に、書籍はテキストデータになっていった。
文書が「機械処理可能なデータ」であるためには、構造も整えておくと都合がよい。私は「内容」と「見た目」を分離する「マークアップ言語」に激しく興味を持った。つまり TeX や HTML の出番である(もちろん wiki やら rdoc やらその他おおくのマークアップ言語に触れた)。こうした「文書を(機械処理するために)構造化する」ことは私の思考に大きく影響を与えたと思う。
同時にアウトラインエディタやマインドマップのようなリニアでない執筆を可能にするソフトも書くことに大きな影響を与えた。それまでの時系列に並び編集性が低いリニアな思索は、ツリー状に分散しつつリンクする極めて編集性の高い二次元・三次元的なものに変化した。少し大袈裟な言い方だが。
更に脱線すると、こうして収集してゆく膨大なデータを仲間と構造化しつつ共有するという構想を立てて興奮したりもした。本の内容をもとのテキストデータと関連させつつマインドマップのようにした上で、その複数のマインドマップを更にリンクさせてゆき、内容で構造化させるというアイディアだった。ある意味でシントピコンとも言える [1]。いまなら google book search とマインドマップサービスを連成させれば簡単にできるかもしれない。著作権のあるクローズドなテキストとの連携/共有は難しいかな? [2]。
ちなみにこれは Wikipedia も Youtube もない時代の話である。大学の情報社会学の先生が google を「ゴーグル」と発音したりもしていて、それもゆるされた時代だった。僕の説明のまずさもあり(これは強調されてよい)、おもしろいことに、そうした CGM 的なものは「情報処理」というよりも、社会運動とか宗教に近いものとしか認識されなかった。
別にこのことで「俺は先進的だぜ」とかいいたいんじゃない。考えた人は僕以外にいくらでもいたはずだ。僕が言いたいのは、人の意識というのは後からでしか変化しないし、変化すると簡単に変化するということだ。僕は wikipedia や youtube を見る度に「未来はやってきたんだなぁ」とかいう深い感慨をおぼえる。つまり、言いたいことは一つだ。「人の理解を求めるな! ただ作れ! 理解はそうすれば得られる!」
そう未来は必ずやってくるのだ。だから、その未来を作って行けばいい! 人の理解はそれからでいい! 過去や現在に引きずられないで突っ走れ! 人の理解を求めて精緻に語れば語るほど、人は様々なものを失ってしまうものだ。
と脱線しすぎたので今回はこれまで。この時代に私はゲルインクペンを離れたが、それは次回に。
notes
[a] 若いときには、雑多な思いをノートにぶつけたり、一つのテーマについてノート一冊を書き抜くことを私は強く勧める。そうしたノートをきちんと保管したら一生の宝になると思う。「ノートの取り方 (1)」 を参照。
[1] シントピコンについては [書評] 本を読む本 / アドラー を参照
[2] この時期の私は「情報」を客観的に処理可能なものと捉えていた。現在ではこういう立場をとっていない。たとえば、情報と向き合うときに気をつけること や 技術の発達が価値体系を変革する などを参照。