2007-01-27

死にそうな人に「生きろ」と言えるか

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という、ただのぼやき。

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「生きているのが死ぬほどつらい」そういう体験をしたことがなければ「生きていられるだけで有難い」と感じることはできない。そういう経験が無い人には、ただ生温い偽善ががあるだけ。ただ薄汚い損得計算があるだけだろう。そういう人の言葉は胸をうたない。そういう人が何を言ってもガキにしか見えない。「ただ偽善で言ってるだけだな」なぜか、こういうことはすぐに分かる。

「死にたい」と呟く人に、本当に、偽りなく、心の底から「死ぬな」「生きるんだ」「俺がいる」と言えるだろうか? 生きるということは理屈じゃない。だから心がものを言う。心じゃなけりゃ「愛」だの「命」だのは語れない。見せ掛け、演技、偽善はすぐにメッキがはがれる。 「愛情」「生命」「正義」……こうしたことを語るだけの、心の成熟をしているだろうか?それとも、ただ、歳をとっただけの「大人」なだけじゃないだろうか? ただカッコなだけじゃないだろうか?

理屈じゃない。心を、精神を高めねばならない。生きぬき、苦しむ人に心の底から「生きろ!」と言うしかない。苦しむ人に、絶望した人に「私がいるよ」「生きろ」「死ぬな」こう言える人間に、なっているだろうか? 命や愛を本当に語れる人間になっているだろうか?それだけの人間に、ふさわしい人間になっているだろうか?

繰り返すが、心の成熟の問題である。「ふり」はすぐバレる。