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最近はパソコンで書いてないで中心は手書きだから、どうも雰囲気がじじいになる。そんなじじいメモから何個か写してみるテスト。あ、ぼやきなんで、くれぐれもほっといて下さい。
くれぐれも気分が悪くなったら読まないで下さい。ただのぼやきです。
なせばなるとか努力しても無駄とかじゃない。
あることはなせばなるしあることはなしてもならない。その区別があきらかなものもあるが、大半はどちらだか分からない。
故に、なせばなるとおもいつとめ、ならねばならぬものだとあきらめるのみ。
常に今、まさにこの場で楽しいことのみをせよ。楽しく感ぜぬことを為す勿れ。
ただし、そのことが本当に楽しいのか考えねばならない。
そのばそのばでなすべきことをなせ。なすべきこととはおのれをよろこばせることである。
ただし、かんがえよ。おのれをつよくすること。おのれがおのれをこえてゆくこと。このほかにたのしみがあるだろうか?
我慢などしてはならぬ。無理がとおるほどに我々はつよくない。無理は無理とあきらめよ。
おかえしがないとくやむくらいなら、善意などばらまくな。
善意は「あげる」ものではない。捨てるものであり、盗ませるものである。
捨てる善意こそ、強者の贅沢でありよろこびである。
音楽の本質は、身のふり、心のはえ、まさにわざそのものにある。耳に聴こえる音はただの結果にすぎない。
武道における、かたやてと同じ。
映画「シャコンヌ」における、楽器を失った主人公の演奏の真似の場面を想起せよ。
ゆたかだからすてるのではない。すてるからゆたかなのだ。
えらい、立派と思わぬが本当にえらい。
祖母の毎朝夕の読経は本人は仏道としてよいことをしているなどとは考えていない。ただ気持ち良い、自己満足なだけと認識しながらやっている。まったくえらいなどとは考えていない。
だから、えらいと思う。
家、車、旅行、外食。この四つを節約すれば、あとは節約しないでもよい。
企業は満足できな消費者を増やそうとしている。満足することを一段低いことと思わせようとしている。
「あなたは今の○○に満足ですか?」
「そんな○○で我慢していていいんですか?」
「あなたはもっと贅沢していいんです」
まことに我慢は幸福の門であり、不満は不幸の門である。ただ、おのれを向上させよ。
出来事は実は二つしかありえない。
1。「いま」とりくむべきこと
2。とりくめるようになるまで、あるがままに受け入れること
不安や心配、後悔は不要である。
計画を立てることについては、きちんと時間をとり、計画を立てるべきときに冷静に取り組み、立てたら遂行に専念すべきであり、遂行しながら計画を考えたり、計画を立てながら遂行するというのは愚かである。反省も同様。