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私は心の専門家でも何でもないのですが、欲望とストレスには大きな関係があると考えています。少し雑感をメモしておきます。
私はストレスとは欲望を遂行する過程で生じる緊張状態であると考えています。なぜなら、欲望が無ければストレスが生じていないように観察できるからです。例えば、良く見せようという欲望が無ければ対人関係のストレスは無いでしょうし、成功したいと思わなければ仕事のストレスも無い筈です。
この緊張は良い側面も悪い側面も両方あるように思えます。良い側面としては、ストレスは欲望遂行の為のエネルギーとして必要とされるということがあげられます。悪い側面としては、その緊張は心身に悪影響を残しますし、何よりも過度なストレスの下では本来の力を発揮できないという点をあげられます。
こうした考えの下、ストレスとは、良くも悪くも欲望が生じた際に生まれる緊張なのだと私は考えています。欲望のないところにストレスはありません。欲望のあるところストレスが生じると考えています。
更にストレスと欲望について考えると、ストレスは欲望を煽るように思えます。対人関係でストレスがあるからこそ、良く見せようというストレスを強く感じる訳であり、現状の仕事のストレスがあるからこそ成功したいと更に欲望するのです。ストレスが欲望を煽るからこそ、人は調子の悪い時に限って大きな賭けに出てしまい、大きく敗れるものです。
一度欲望かストレスが湧くと、それが相互に煽り合います。これは失敗の連鎖を生む悪循環に陥ることもありますし、逆に、成功の後にもすぐに次の欲望が湧き続けるという成功の連鎖ということにもなるのでしょう。
ところで欲望が達成されたらストレスが解消されるかというとそうではありません。そもそも欲望とは自己矛盾的なものです。欲望は何かを欲望しつつ、その何かが達成される瞬間には、その欲望は消えてしまっているのです。私達は「手に入らない」から欲望するのであり、容易に手に入るものを欲望することはできないのです。
例えばほとんどの男性は、女性を口説いた後に、ある種の落胆を感じた事があると思いますが、これは欲望の達成よりも前に、それが確実になった瞬間に欲望が消滅してしまうことが原因であると考えています。その意味で、私たちの欲望は一度として満足に達成されることはないのです。
ある女性に話したいと思う欲望は、話せた瞬間に消え、触りたいという欲望に変わります。触りたいという欲望は、それが成功した瞬間には更なる欲望に変わってゆきます。欲望に目途はありません。人は、いくら人を抱き締めても、相手への欲望を充足させることはできないのです。
欲望は常に充足されず、先送りされます。元々の欲望の達成の瞬間には、当の欲望は消失しているのです。だから、原理的に味わえぬ欲望の達成を求めて、人は欲望に突き動かされ続けることもあります。これは「中毒」や「執着」と呼ばれる状況です。
執着となった欲望追求はとても苦しいものです。通常思われるのとは違い、中毒者は「楽しく」欲望追求するのではなく、「苦しみながら」欲望を追求するものです。アル中もパチンコ中毒も、ニコチン中毒も、苦しみながら追求するのです。決して楽しく酒を呑むアル中や楽しくパチンコを打つパチンコ中毒、楽しくタバコを吸うニコチン中毒はいません。原理的に欲望は達成されないのですから、苦しくて当然なのです。そして、その苦しみ、そのストレスが、更に強く「原理的に味わえぬ欲望の達成」を求めさせてしまうのです。
同様に、名誉欲、金銭欲、知識欲、逃避願望などは原理的に充足されません。その欲望が達成される瞬間に、その欲望は消え、虚しさが立ち現れ、即座により強い欲望が現れるのです。欲望に支配された人間は、いかなる成功が続いたとしても、苦しいものです。これは単純な故に激しい悪循環に陥ります。
ただし、ここで注意して欲しいのは「成功する」ことも、あるということです。ただ、もし成功したとしても、その欲望は充足されず、消えると共に次の欲望を生んでゆき、更にストレスを与えるのだということです。苦しい人が上手くいくことは少ないとは思いますが、分野によっては無いとは言い切れません。
例えば、美への執着が完全な悪循環に陥ったある種の芸術家は、いかに成功し続けようとも苦しみから脱することはできません。人からの評価を受けることになったとしても、自分の美への欲望が循環を起こしているので苦しみだけを連鎖させます。
これは作品の着想が思い付いた瞬間が一番しあわせで、その完成間際になると苦しみだけとなり、完成したら作品が既に他人のものとして感じるという芸術家が多いことからも理解できるのではないでしょうか。完成間際には欲望は既に乗り換えているのです。そうした芸術家は死ぬまで「何か」を欲望し続け、ひたすら苦しみながら死んでゆくのでしょう。
彼らは「あれを作りたい」と欲望しますが、完成するときには、その当の欲望は消え去ってしまい、決して作品の成功による満足を感じられないのです。
ただし生前に「成功」した芸術家はまだ話になりますが、人からも評価されないで死ぬ芸術家も多いので、非常に悲惨です。この件については話題はいくらでもあります。ただ、そのどちらも、自らの巨大な欲望が苦しみとして連鎖している点では変わりないので、生前に認められようが、認められなかろうが、その苦しみにおいては大差ないのかもしれません。
苦しむ、苦しむと書いてきましたが、そもそも、私は楽しそうな顔をしている芸術家は芸術家ではないと思います。かなえられないものを追うしかなかった苦しみの人生を生きる必要が、稀に与えられるのでしょう。
誰が偉いわけでもありません。様々な運命が人それぞれにあるのでしょう。アル中や芸術家を「苦しい苦しい」と書きましたが、そうした苦しみがあるからと言って、その人を貶めることは私はしません。彼らが、そうした運命、苦しみを担って生き抜いているとしたら、それはそれで素晴しいことと思えます。
何を書いてるのだが、分からなくなりました。また書きます。