2007-09-02

東京を軽蔑し、京都へ去った友へ

先日のエントリを書いていて、もう一人の高校時代の同級生を思い出した。

彼も京都に行った男だった。東京に残るのが大多数の中、京都へと去るのは異端だった。言わずとも、同級生への侮蔑が感じ取れたものだった。「もうこれ以上、東京でこいつらの間抜けな顔を拝みたくない」。これ以外に京都に行く理由はあるはずもなかった。それは皆が皆、無言の笑顔の内に理解していたことだ。

異端のこの男は紛れもない古い男であった。雀荘にこもった先の友人の如く、この異端はジャズ喫茶にこもった。時代錯誤のマントのようなコートで学生服を完全に隠蔽しつつ、酒をあおり、煙草を吹かして街を闊歩した。しかも、髪型は、あの平成の世に七三であった。信じて頂けないかもしれないが、これは事実である。

彼は評論を読み漁っており、社会学や文化論などの分野で卓越していた。彼は倫理か何かの時間に、数時間に渡って内容は忘れたが現代社会に関する発表をした。その多読に支えられた幅広い知識の量とそうした概念を裁くだけの論理技術、数時間の発表をするだけの構成力、独自の充分に練られた鋭い視点に、私は驚かされた。

また、ある同級生がした素朴な若者らしい日本社会に対する提言を盛り込んだ発表に対し、彼は残酷なまでに鋭い批評を加え、同級生の意見を木っ端微塵に吹き飛ばした。私の後の席にいた、普段は私と口をきかない男が「なにも○○が言ったのは若者らしい雑感なのだから、あれほど論理的に批評することはないだろう」と私の耳元で囁いた。

私はこの異端も嫌いだった。我慢ができぬ程に。一つには彼の音楽の理解を信用していなかったことがある。いま思えば彼の音楽への姿勢も切実だったのかもしれないが、当時の私はちゃらけて音楽を聴いているように思えてしまった。

また、多くの異端児と同様に、彼もマイペースだったことにもよる。ある日、どういう訳か彼から馴染みのジャズ喫茶に連れていってくれた。そこでジャズを聴くのだが、彼は居眠りを始めてしまい、私はどうにも手もちぶさたな気分となった。そして、学生服で歩く私の横で、無遠慮に煙草に火を付けた時に頭にきた。店でビールを一緒に飲むのは理解できるのだが、街中で煙草を吸われるのは状況的に嫌だった。私はその前にも、他の友人が煙草を吸って補導され、吸わない私も嫌な気分になるのを何度か経験していた。
「失礼だろう!」と私は言った。
「それは失礼」と彼は言った。

彼とはそれっきりとなった。


彼は京都で何を学んだのだろう。私は無意味にほとんど同級生をあまりに軽蔑していたので、同級生の進路を何も知らない。きっと文明論だろうと思う。優秀な彼は京都で学び、そして今はどうなったのだろう。研究者の道へ進んだか、シンクタンクなどに進んだのだろうか。

彼は優秀であり、鋭かった。だからこそ、思うのは、彼はその鋭さのあまり、どこかの野に潜む選択を取ったのではないかとも思う。「賢い選択」の基準は曖昧である。いや、そんなもの無益である。彼の優秀さと生意気さは、どこかで「飼われて」発揮される質のものではなかった。明らかである。だからこそ、彼は今頃、どこかの野に潜み、泥にまみれながら、更に鋭く爪を研いでいるのではないか ── そういう気がするのである。

実は、先の雀荘にこもっていた同級生と会った後、高校時代の恩師にメールをした。そのメールにて私は同級生の成長をほめたたえた。しかし、恩師は冷たかった。同級生が「彼自身に欠けている、と思い込んでるモノを無意識に埋めようとしている感がある」と返事をくれた。彼が「ガキじゃあるまいし、ドブにおちてないのか?」と言うのである。こうした話題はメールでは難しいので「次の酒の席に」というところで落ち着いたのだが、実は、私も薄々と何人か会う優秀な同級生に対し感じていたことである。

ジャズ喫茶の異端が、もし「彼自身に欠けている、と思い込んでるモノを無意識に埋めようとしている」のでなければ、今ごろは野に潜み、泥にまみれ、苦い汁をすすっている頃ではないかと思う。彼の有能さは、自分の力を発揮できる場所を求め、苦境へと自らを追い込んでいるのではないかと思う。

思うに苦境とはドブである。どう見ても普通の人なら落ちない場所であり、人から見ても、落ちても無益にしか見えない場所であり、自分だって、落ちて無益にしか思えない場所である。しかし、苦境を舐めずには発揮できない力が、人には存在するのだ。

そう考えると、雀荘の彼も、今更、医学部などではなく、そうしたドブの底をなめつくす方が、彼の野生なのかもしれないとも思う。彼は無理をして己から逃避をしているのかもしれない。ただ、私はドブにはまれ、などとは彼には言わない。言うべきでもない。ただ、彼がドブにはまらない幸いを祈るばかりであり、幸いを喜ぶのみである。

ただ、もし東京を軽蔑しつくして京都へと去った優秀な友よ、もし君がいま苦境を舐めるのであれば、それはそれで幸いである。それは君にとって必要な苦境である。君の力は発揮される。いや、既に発揮されていると言うべきか。その苦境は普通の人は落ちないのだから、私は君をほめたたえたい。

「馬鹿だなーお前、そんなに馬鹿だとは思わなかったよ」

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