ふと今日はサン・ハウスの話をしたくなった。秋の音が聴こえる涼しい夜に、熱く乾いたブルースのうめきが突然に欲しくてたまらない。
正直に告白するが、私は高校生のときにサン・ハウスが分からなかった。聴いたのは、チャーリー・パットンとサン・ハウスがカップリングされた「伝説のデルタ・ブルース・セッション」だった。当時の印象は、様々な雑音の向こうから、かすかにがなりたてる歌声が聴こえるという程度ものだった。恥ずかしい。
それでも、サン・ハウスを分かっていると思っていた。良さはそれなりに分かっていた上で、「まあ、ああいう音楽だろう」という規定をしていたと思う。だから、ロバート・ジョンソンなどを聴いて、その解説に「ロバート・ジョンソンはサン・ハウスを超えた」などと書かれていても、あまり気にはならなかった。
数年前のことであった。私は激しくサン・ハウスにうたれた。場所は藝大の教室であり、高校時代の恩師の講義の席であった。当時、フリーランスのプログラマとなり時間に自由だった私は、連続講義の手伝いとして呼んでもらっていた。簡単に講義の準備を手伝い、あとは藝大の寮の一室で明けるまで酒を飲んだ。
まさか、そんな講義の席で、知っているはずのサン・ハウスに打たれるとは思ってもみなかった。見たのは、サン・ハウスの「再発見」後の映像である。
白黒のスクリーンに、やや老いたサン・ハウスが映し出される。彼はギターを構え、そして、軽く咳とも溜息ともつかぬ唸り声を出して、やや高く右手を挙げ ──
「アシスタント」として来た人間が、講義の資料を見て泣き出すというのは、どう考えてもおかしな話だった。いや、迷惑な話だった。
それでも、彼の音の前では、他に為す術がなかった。まさに神であった。彼は圧倒していた。細かい問題など全てを超えた演奏であった。
彼に圧倒され、私は己の小ささが痛かった。フォーム(姿勢)や音階、理論……ブルースの巨人は全てを踏みつけていた。私は彼の演奏の前で丸裸にされ、装飾品を纏わぬ己の惨めさを痛感した。いくら泣きやみたくても、泣きやむことはできなかった。
なぜ、彼の音楽はこれほどまでに私を打つのか? 私は彼の伝記や歌詞などに詳しくないので、ただ私の印象の話になるが、彼の悩める魂、深い業の呻きだからだと思う。彼は「捨てるべきではないとされるもの」を捨て、「進むべきではないとされる道」に進み続けたのだと思う。なぜか──分からないが、結局は他にはしようがなかったのだろう。
その後悔や悔いの呻き、しかし、それすらを受け入れるひたむきさ、そして受け入れつつも謝罪し詫び続ける哀しさ……こうしたものを、私は彼の音楽に聴いていると思う。不条理にして必然、必然にして不条理な、逃れることのできない人生を歩き抜いた男の響きが聴こえるようである。
思うにブルースマンは、なりたいと思ってなるものではない。なっちゃいけない、なりたくないと思いながら、嫌でもなってしまうものなのかもしれない。ブルースなんて歌いたくない、ブルージーに呻きたくないと思いながら、歌い呻くものなのかもしれない。いや、芸人になって旅をしたがった者も多かったらしいのだから、これは嘘か。
「奴隷開放」されて「資本主義」の世界にぶち込まれた「黒人」の心境なんて、私ごときが分かると言ったら、どう考えても嘘である。ただ、奴隷や農村強制労働の時にはあった共同体が崩壊してゆき、黒人が北米大陸を受け入れられないまま彷徨わなくてはならなくなったまさにその時、ブルースは美しい。
残念なことに、私は絶対にブルースを理解できないと感じている。先進国で信じられない程の物質とエネルギーを当然のように使い続けているせいもあるが、それだけではないだろう。分かる人は分かるだろうとも思う。私は分からないのだ。たとえ、「全て」を剥奪され、差別されながら社会の隙間を流浪することになったとしても。
それに、黒人にとっての福音(ゴスペル)の問題の問題が常にある。私は実はこの問題に関してキリスト教徒から見れば恐ろしい、全く危険な考えを持っているのだが、まあ、ここには書かないでおこう(いや、何が恐ろしいのかは分からないが。少なくとも私には何も恐ろしくも危険でもないが)。ゴスペルの問題はジョージア・トム(トム・ドーシー)の話でもする時のために取っておこうか。ゴスペルなしにブルースの理解はありえない。
サン・ハウスに福音、すなわちキリスト(救世主)の死と復活の問題について訊いてみたいものだ。牧師を捨て、ブルースに走った彼に。正当防衛とは言え、殺人者である彼に。
まあ、それもとにかく、私がブルースを理解できないのも、それはまた幸福なことか。ブルースは「悪魔の音楽」なのだから。