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19の夏、パキスタンに行った。
別に行こうと思って行ったのではなく、サンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼をしようと思って安い航空券を探したら、パキスタン航空が安かったという話なだけだ。だから居たのは行きと帰りの二日間だけ。このエントリでは行きの話を書いてみる。
初めての海外旅行だった。成田で友人と別れ、飛行機に乗り込んだが、飛行機はいくら待っても出発しない。機内アナウンスでイスラマバードで爆弾テロがあったのでカラチ経由に変更すると言う。初めての海外旅行で爆弾テロという言葉を聞くなんて俺らしいなと思った。
隣の席の人はオランダで働く南アフリカ人だった。彼は
「PIAって何の略だか分かる?」
と冗談を言う。
「パキスタン・インターナショナル・エアラインズでしょ?」
「ノー、ノー、パーハップス・アイ・アライヴ(もしかすると、着くかもしれない)さ」
機内は既に外国だった。機内に日本人の姿はなく中東系や黒人が多い。アナウンスは英語とアラビア語で、離陸前には機長がコーランの冒頭を朗誦する。「アッラーフ・アクバル、アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」
アッラーに守られながらカラチに着いたが、度重なる機体調整もあり予定よりも六時間は遅かった。空港ではライフルを剥き身でぶら下げた兵隊がわんさかいた。私は坊主&ヒゲにしていたのでよかったが、茶パツでロンゲな日本人がゲートで数人の武装した兵隊に囲まれ「ヘーイ、お前は女かー?」とかからかわれていた。男の子は真っ青になっていた。まあ、兵隊も暇なのだろう。
空は暗くなり始めていたころで、次の出発は夜明けの5時ということだった。カラチで夜を明かすことになった。
空港の前のバス乗り場のベンチに僕は座った。モスクが夕日に照らされ、その下を頭から真っ黒な布を被った女性が数人の子供を連れて歩いている。あっちゃー、来ちゃったよ、イスラム世界、と僕は思った。腹が減っていたが、街に繰り出す勇気はなく、両替も面倒だったので、空港でパンみたいなのを買った。
空港のベンチには人がどんどんと集まってきた。子連れの女性も多かった。彼女たちはそこで夜を明かした。
好奇心の強い子供たちがこちらに歩いてくることもあった。そのうちの何人かは空港のお土産売り場の玩具やお菓子を僕にねだった。僕は何も買ってはあげなかった。僕はギターを持っていたので、歌ったり踊ったりすると子供たちは喜んだ。仲良くなったので写真を撮ろうとカメラを向けたら、母親が必死な顔で止めに入った。何かを強く訴えていたが、全然分からなかった。
一睡もできないまま長い夜が明け、母親は子供を連れて街へ帰った。僕は飛行機に乗り込んだ。
この時は、僕が二ヵ月半後に再びこの街を訪れて観光することになるとは思いもよらなかった。 続く