2008-03-27

パキスタンの思い出(2) シャンパン没収と市内観光

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前回に続いてパキスタンの思い出。帰りは手荷物検査で引っ掛かったり、市内観光をしたりした。

***

帰りにはカラチに日中居ることになった。到着は朝の7時40分だった。さすがにパキスタン航空はホテルを準備してくれていた。

僕は自分の二十歳の誕生日のためにフランクフルトでシャンパンを買っていた。それを不用意にバッグに詰めていたので、カラチ空港の手荷物検査の時に引っ掛かった。

けたたましくブザーが鳴り響くと、ライフルを持った兵隊が十人ほど走ってくる。そして、ライフルを構えながら、なんというか遠巻きにじわりじわりと間を詰めてきて、一人が僕の腕を捕まえると、更に二人ぐらいで僕の体を取り押さえる。そして、何か大声で叫んだ。きっと「確保!」とか叫んでいたのだろう。

屈強な兵隊二人が僕の両腕を痛いほどに掴み、ライフルを持った男がそれをサポートしながら、僕は裏に連れてゆかれた。僕ははっきりと「やべえ、これは絶対殺される」と思った。自分が怪しくないことをアピールしたかったが、言葉も通じないのにどうしたらよいのかも分からない。

汚い廊下を歩いて、突き当たりの扉に連れてゆかれた。兵隊は一呼吸してドアをノックする。

扉を開くと、笑っちゃうほど大佐な男が机に座っていた。それは五〇代半ばの男で、その高級な生地の軍服、そのいかめしい帽子、その瞳を隠すグラサン、その整えられたヒゲ、どれをとっても見事な大佐っぷりだった。机の上で手を組んで、部下に顎で指示を出す辺りも見事だった。部屋の左右には若い兵隊が支え筒の姿勢で直立している。

やや遅れて一人の兵隊がやってきて、問題のシャンパンを含む僕の荷物を持ってきた。荷物は大佐の古めかしいがしっかりとした木の机に置かれた。兵隊は敬礼すると部屋を後にした。

大佐は僕のパスポートをひとしきり弄んだ後、話し掛けてきた。
「お前は、日本人か」
「はい」
「日本で何をしている」
「大学生です。この夏はヨーロッパで観光旅行をしてました」
「ふん。楽しかったか」
「はい」

大佐は鼻の下の立派なおヒゲをなでた。そしてパスポートを投げやりに机の上に投げると、今度はシャンパンを手に取る。
「これは何だ?」
「シャンパンです。お酒です」
「お前はこれを飲むのか?」
「はい」
「これは自分のために買ったのか? 自分が飲むために買ったんだな?」
「はい」
「本当に飲むのか? いいか、お前が、だぞ?」
「はい。飲みますよ。何ならいまここで飲みましょうか?」

大佐は何かを疑っていた。爆発物として疑ったのか、密輸を疑ったのかよく分からない。
「この国では酒は禁じられている。知っていたか?」
「はい。知ってましたが。忘れてました」
「お前の国では酒を飲めるのか?」
「はい」
「お前のような若造も? お前のような若造も酒を飲むことを許すのか?」
「はい」
「私は酒を飲まない。自分を惑わすからだ。私は自分たちの子供が酒を飲んでいるのを知ったらとても哀しい。ご両親だって、お前が酒を飲んでいるのを知ったら悲しむだろう。それだというのに、お前は何故酒を飲む?」
「ええと……。楽しいからでしょうか」
「……世も末だな」

大佐は消費文明に対して、ひとしきり悪口を言うと、自分も酒を飲んだことがあると告白した。そしてこう忠告してくらた。
「ありゃ悪魔の水だ。お前もやめたほうがいい」

その後、十分ほど世間話をして僕は解放された。大佐にしたら暇つぶしだったろうが、僕はすっかり寿命が縮まった。

***

解放された僕を40くらいのおっさんが案内してくれた。ただの空港の職員だろうと思う。話し好きなおっさんだった。ホテルのバスは爆弾テロ犯として疑われた(?)僕を乗せずに行ってしまっていたので、別の乗り物が迎えに来てくれる手筈になっていた。おっさんと僕は強烈な日差しの下、ホテルの迎えを待った。
「最近、家、買ったんだよ」
「へえ。すごいっすねえ」
「いや、別にすごくはないんだけどな。で、ローンとかあるんだけど、かーちゃんは家買う前と同じように指輪買えの何のってうるさいんだわ。家買う前は買ったら節約するとか言ってたくせにな。お前の国でも女は同じか」
「はあ。似たようなもんだと思いますよ」
「でもなあ、うちはかあちゃんが二人もいるんだぜ。子供も生まれるし。この国の男は大変だよ」

おっさんはひとしきり物価の話とかをした。年収は百万円くらいだった。話を聞けば結構広い家で奥さん二人の子沢山で楽しく暮らしているように聞こえた。

迎えはしばらく来そうに無い。「竹林土建」と書いてあるトラックが目の前を通過する。
「お前、若いな」
「ええ。19です」
「女。いるのか」
「ええ。います」
「結婚するのか?」
「わかりません」
「……で、するのか?」

おっさんの目が光る。まいったなあ、と思いながら僕は答える。
「……はあ……まあ」
「まったくよお。羨ましいなあ、おい! いや! いやいや! だからお前らはダメなんだよ。いいか、俺たちの国はな、そんな「恋愛」なんて認めないんだよ。結婚もしないのにそんなことしたらな、俺の国だったら親戚中の男がリンチするんだよ」
「はあ。厳しいっすね。でも、おっさんだって若い頃、お! かわいいな、あの子 ってのいたでしょ?」
「まあなあ、でも俺らは学生の頃も男女は近づかないようになってるんだよ。近づいて話しただけで大騒ぎだからな。顔も見ないから知り合いようもないわけだよ。でもな、実際ここだけの話、中学生の頃○○っていう、かわいい子がいてな。幼馴染でな。一度だけ、一度だけな、話し掛けたことあるんだよ。絶対秘密だぞ? あの子どうしたかな。まあ、こんな歳になっちまったけどな」
「……キスしちゃいたいとか思っちゃいました?」
「おい、おい! やめてくれよお」と言っておっさんは笑う。そして十秒間ほど沈黙して再び「おい、おい! やめてくれよお」と言って、豪快に笑った。ベルトで締め付けられた腹も豪快に揺れていた。
「お前、酒も飲むんだろ?」
「ええ」
「お前のお母さんも知ってるのか」
「ええ」
「まったくよお! どうなっちまってんだよ、お前の国は。そりゃあ俺だって一度、海外に居たときに飲んだことはあるけどよ。そりゃあ、おかあちゃんには絶対言えねえよ。おかあちゃんが知ったら気絶しちまうよ」
「まあ、文化が違うんでしょうねえ。日本人はそういうのにうるさくないんですよ」
「わからねえ。婚前交渉するは、酒は飲むは。お前の国の繁栄ってのは嘘だな。いや、嘘じゃなけりゃ、悪魔の繁栄だ。きっとすぐに滅ぶぞ。きっとだ」
「まあ、そうかも知れませんね」

おっさんは両手で僕の両肩を掴んだ。
「お前。怖くねえのか」
「はあ?」
「お前、そんなんじゃ救われねえぞ。怖くないのか?」肩を掴む手に力が入り、おっさんの目は真っ直ぐに僕を見た。
「別に怖くないですよ」はっきり言えば、おっさん、あんたが怖い。
「ああ、偉大なるアッラー。いいか、お前は堕落しちまってるが、まだ若い。国に帰ったらコーラン読めよ。いいな?」
「はあ」

迎えがやってきた。扉が取れたマイクロバスで日本だったら走行できない代物だった。僕はそのバスに乗り込み、おっさんに礼を言った。おっさんは最後に何度も言った。
「いいか! コーラン読めよ! コーラン読めよー! コーラン読むんだぞー!」

***

数時間後、僕はプールに浮いていた。痛いほどに強い日差しの下、プールの水は生暖かく肌を潤した。

ホテルは古ぼけてはいたが豪華だった。部屋は広くベッドはキングサイズ。バスルームには大きな浴槽もあった。僕はゆっくりと湯船に浸かって、体を洗い、大きなベッドで少しだけ眠った。しかし、結局は飛行機で寝ていたのであまり眠れない。テレビをつけても言葉がわからない。僕はバスタオル一枚を持って、ホテルのプールに行った。

プールには先客がいた。ノルウェー人で作家らしい。世界を旅しながら小説を書いているという。彼はどことなく胡散臭く、その胡散臭さに僕は一発で好きになった。

僕は彼に誘われて市内観光に繰り出すことにした。ホテルの入り口には、観光案内をしたがるタクシーの運ちゃんが30人は詰め掛けていた。「$50」「1 day, only $30」「Me, $25」とか叫んでいる。

ノルウェー人はその前に立ち、人差し指を一本立てた。
「$10」

五人しか残らなかった。それでも、口々にガソリン代がどうしただの、うちには子供とかあちゃんが、だのと言っていた。
「二人なんだから$20だね?」と、一番前にいたおっさんが言った。
「いや、二人で$10だ」とノルウェー人は冷たく言う。ビジネスライクな西洋人はやはりかっこいい。
「そんなあ。せめて二人で$18では?」
「いや。二人で$10だ。15でも12でもない。10だ」

こう言ってノルウェー人は財布から紙幣を取り出して、無理やり運ちゃんの手に握らせた。
「どうだ?」とノルウェー人は言った。「別に君じゃなくてもいいんだが……」

握ったカネは離せないものらしい。「分かったよ」と運ちゃんは引き受け、すばやく紙幣を財布に入れた。こうやって西洋人は東洋人を騙しつづけているのだろうと僕は思った。

***

運ちゃんは絶好調に話しまくった。僕らは街一番の大通りを疾走した。
「見てくれよ! これが産業化だぜ。文明だぜ。民主化だぜ」

街一番の大通りは、時代遅れの寂れた商店街をなぜか間違って道幅を広げてしまったという程度のものだった。
「見てくれよ! これが未来だぜ! 強さだぜ! 民主化だぜ!」

指差す先には戦車やら戦闘機やらが展示してある。どれも古めかしい。なんで街の真中にこんなものが置いてあるのかが意味が分からない。

更に運ちゃんは激走した。そして、古ぼけた鉄の塊の前で絶叫した。
「見てくれよ! これが正義だぜ! 平和だぜ! 民主化だぜ!」

なんだか分からなかったので僕は質問した。
「ええと、何これ?」
「ははー! 聞いて驚くなよ。原爆だぜ! 原爆!」
「はあ? 原爆?」
「おうよ! 原爆だぜ! 科学だぜ! 技術だぜ! 民主化だぜ! パキスタンはすげえ国なんだよ!」

絶好調のタクシーは海に向かった。車窓から町の風景を眺める。中心部から外れると、街には瓦礫の山が目立つ。その瓦礫の山で中学生くらいの子供が角材だか鉄パイプだかでチャンバラをしている。遊びだと思う、たぶん。Tシャツは意外とまともで僕が着ているものの方がよっぽどボロボロだった。その脇を上半身裸でライフルを肩に担いだ若者が何気なく歩いていた。

砂浜にはラクダがいた。ラクダはでかかった。
「乗るかい?」とアラビア人は聞いてきた。
「いや、いいです」と僕は断る。どうせ、乗ったら料金をせがまれ、ぼられてしまうのだろうから。僕はぼんやりと海を見たり、街を眺めたり、ラクダを眺めた。アラビア海はきれいじゃなかった。

次にジンナー廟に行った。パキスタンの創立者、ムハンマド・アリー・ジンナーの霊廟らしい。僕は靴を脱ぎ、イスラム教徒の格好をして中に入った。手を叩くとエコーが掛かった。最後にアクセサリー屋に連れて行かれたが、そこでは何も買わなかった。

再び中心街をタクシーは走り抜けホテルに戻った。ノルウェー人には気付かれないように、僕は財布から$10取り出して運ちゃんにあげた。
「サンキュー、ミスター。これでかーちゃんもよろこぶよ」
「そう。それはよかった。ところで、全然、客が居ないよね」ホテルの駐車場では、運転手がタクシーで寝ていた。「お客はあまり来ないの?」
「治安が悪くてさっぱりだよ。ミスター。だから、パキスタンはもっともっと強くならなくちゃならないんだ。俺たちは負けてられないんだよ。俺の親父はインドのやつらに殺されたんだ。インドだけじゃない。色んな奴等がこの国をめちゃくちゃにしてるんだ。だから商売あがったりだよ。それもこれも、パキスタンが弱いからだよ。だからパキスタンは強くならなきゃいけないんだ」
「だから原爆?」
「そうだよ。ミスター。強ければオーケーなんだ。パキスタンが強ければハッピーになれるんだよ。原爆実験が成功したとき、どんなに俺たちが嬉しかったか分かるかい?」
「わかるよ」
「日本には原爆はないのかい?」
「ないね」
「そりゃあ、ダメだ。お前たちは幸せになれないよ」
「かもね。そう言われたのは今日で二度目だよ」

***

空港では無事に酒とパスポートを返してもらえた。飛行機はカラチから途中でマニラを経由して成田に到着した。三ヶ月近くに及んだ僕の初めての海外旅行はこうして終わった。