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私の文具遍歴を綴る第4回。今回は前回の情報処理機時代に使用していた水性ボールペン OHTO Liberty (オート リバティー)について。
さて、情報処理機にはまればはまるほど、私は紙から離れるようになった。紙はスケジュール帳とメモ帳しか使わなくなった。
大学でのノートについては、ルーズリーフも大学ノートもやめて、安価なコピー用紙を利用するようになった。コピー用紙にノートをとり、それをクリアフォルダにはさむのである。もちろん他の資料もはさんでおけて便利だった。その紙だって「本来はテキストデータ化されるべき」と考えていた。そのうち授業のノートもノートパソコンでとるようになったし、授業を録音して音声認識ソフトにかけたことだってあった。
こうした状況にて、ペンには保存されるべき上質な中性紙に対する特性ではなく(あまり知られていないが、普通のノートやルーズリーフの紙はかなり上質である)、粗末なコピー用紙で書く快適さが求められていった。
また既に述べたが、ゲルインクの書き味と私の感覚に乖離が生じ始めた。G-1の筆触の最大の特徴は、書き始めに筆尖を紙に置いた瞬間のヌルリとした感触である。不透明な生温かいものに爪の先が触れたような感触である。これは書くべきものが決まっているときには、そこから逞しくペンを滑らせる原動力となった。
しかし、そのよどみは一瞬だが心を惑わす。さらに大袈裟に言えば、その一瞬に思考は居つき、濁ってしまう。
よりシャープで滑らかな、よどみない筆触を私は求めた。またデザインの面でも洗練されたものを求めた。
さらりと書ける筆触を備えたスタイリッシュなペン -- その解答は OHTO (オート)の水性ボールペン Liberty であった。1000円とは思えない軸の重量感と高級感がまず私を捉え、次に OHTO の 300 シリーズのセラミック・ボールによる硬質でさらりとした書き味が私を満足させた。替え芯がやや高めだが、その種類は豊富だし、軸が丈夫なので愛用しつづけた。このペン軸とはかれこれ8年の付き合いとなった。
しかし、情報処理時代の文書入力の基本はキーボードである。その意味で、 OHTO Liberty はメインの筆記用具でありながら、メインの文書作成の道具になることはなかった。実際、長時間の筆記にはペン軸は重く、筆触は硬すぎると現在では思う。