グーグルマップ・ストリートビュー (Google Map Street View) はなぜこんなに気持ちがわるいのだろう。
- 自分の意思の及ばない、一企業が情報量あまりに多くの情報を持っていること。Google はプライバシーに関わる情報をマスクして提供しているが、元々のプライバシーに関わる情報自体は保存し続けている。善悪の判断のないコンピュータという道具に、そして、少なくともその意思決定のプロセスに関与できない主体に、これほどの情報を持たせることへの気持ちの悪さがある。
- 一方的に見られ、その相手を知ることができないこと。公道からでも家並みは見られると言えば確かにそうだ。しかし、そうした場合でも、そうした家並みを「見ているその人」を私達は見返すことができる。写真の撮影があったとしても、人の家が撮られる場合には一声かけてしかるべきという感覚がある。しかし、Googleマップ ストリートビューでは、私達の家は誰からも見られてしまい、しかも、それを見ている人間を特定する方法を持たない。そうした匿名の人間の大部分は悪意だと感じてしまう (特に洗濯物を撮られた女性はそう感じることと思う)。
- 世界が視覚的にデジタル化されてゆくこと。Googleマップ ストリートビューでは私たちは道に沿って移動ができる。ある種の仮想現実の世界である。音も匂いも奪われた視覚だけの世界が広がっている。そこには人もいない。人も「景色」になっている。そこにあるのは視覚的に到達できる「モノ」だけだ。実はここにも気持ち悪さが潜んでいる。世界がモノの集積として圧倒的に描かれることは、私たちの「生活世界」の日常的な感覚を歪めてしまう。そこに「違和感」は確かにある、うまく言語化できないが (この点について Googleマップ ストリートビューは地図ではなく仮想世界だ でもう少し考えてみた)。
たぶん他にも見方があると思う。教えていただけるとありがたいです。