2008-02-08

小中学生のときの読書

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 なんだか小学校の頃に読書にはまった経緯を書きたくなった。

 小学生のときに両親が、確か「ずっこけ○○」とかいう本が詰まった段ボール箱を知人から貰って、なぜか私はそれを読んだことが読書のきっかけだったと思う。父親は少年マガジンやらサンデーやらを読んでいて、たまに私がそうした漫画を部屋に持っていくのがうるさくて「ほら、これでも読め」という感じだった。少年誌だけなら良かったのかもしれないが、父は他にも女性の乳首まで映るグラビアが載っているような漫画雑誌も買っていたので、そういう方面での意識もあったのだと思う。彼は漫画を読むなら自分の金で読めと言った。しかし、漫画本を買うほどの小遣いは貰っていなかった。彼の時代には貸し本屋があったから、その連想だったのかもしれない。

 私はその段ボール箱を部屋に運び、喜んで読み始めた。実際、その頃、漫画も面白くないと感じていたからだ。ドラゴンボールやらミスター味っこやら、ドクターKやら、その当時連載が始まったばかりのはじめの一歩あたりにも、物足りなさを感じていた。漫画を捨てるのは何でもなかった。

 しかし、その「ずっこけ○○」の本は、ちっとも面白くなかった。一応読んだが、私は父に抗議した。「俺はこんな子供じゃない。もっとちゃんとしたものをよこせ」と。

 それで父は私を近所の書店に連れて行った。そして、父はヘッセの『車輪の下』とスタインベック『怒りの葡萄』、カミュの『異邦人』を買ってくれた。父がこうした本をどうして選んだのかは定かではない。少なくとも私なら息子を無難で健やかに成長させたいのなら、こうした組み合わせにはしない。

 まず『怒りの葡萄』や『異邦人』はよく分からなかった。ただ『車輪の下』には大いに感激した。幼い私は「学校や社会というものは結局、天才を押し殺そうとしてはじき出しておいて、次の時代になって天才を崇める」という内容は「へえ、こんなめちゃくちゃなこと、ちゃんと本にして、偉そうに書いていいんだ」と妙に感激した。僕は早速、夏休みかなにかの読書感想文の題材にして、これからの社会には絶望しかない、というのは、ヘッセも言うように社会は天才を潰しに掛かるのが常であり、それは変わることはない、ただ、以前の社会では社会の管理は(車輪の下の世界のように)割とゆったりとしている、しかるに、現在はどうか? 車輪の下の世界は私にしたら牧歌的と思える、このような社会では何人も「車輪の下」につぶされざるを得ず、ゆえに社会は天才を失い、世の中はうまくいかない絶望があるだけだ、というような文章をでっちあげた。

 この読後感は国語系の教師には評価され、市か何の読書感想文の賞を貰って、更にどこかに応募するという話になった。それにあたって加筆・修正の機会が与えられた。ただ、熱心に評価してくれたのはその国語系の先生一人であり、担任には「あまり、こういうこと考えない方がいいわよ」と言われた。担任は母親にも相談した。母親も僕を心配した。それに加えて、僕はその国語系の教師が好きではなかったし(胡散臭く感じていた)、担任や母親に気に入られる方がうれしかった。それで、最終的には私はそれを「ですが、がんばります」というような、ありきたりに大人が喜ぶ結びに切り替えた。

 そんなことがあって『車輪の下』『異邦人』『怒りの葡萄』を最初で最後に、両親は小説を一冊も買ってくれなくなった。逆に「漫画でも読むか?」と少年マガジンやジャンプを部屋に投げ込んでくれるようにもなった。しかし、そうなると漫画は全然面白くなく、拳やメスや包丁を揮う世界には、全く興味がない自分を見出した。そう、さっぱり面白くなくなったのだ。

 僕は小学校の図書室に行くことになる。そこで、何か面白い小説を探すことにした。しかし、ヘッセもカミュもその図書館にはなかった。仕方がないので、少しでも子供っぽくない本を探すことにした。そうなると基準は「難しそう」と「分厚い」ということになる。小学校の図書室というものは、絵本に毛の生えたような本がほとんどだった。

 最初は怪盗二十一面相やホームズ、アガサ・クリスティーあたりを何冊か読んだ。しかし、推理小説はちっとも僕の興味をひかなかった。海中二万マイルやら宝島なども読んだ。三国志や歴史物、戦記物も読んだ(戦争オタクの端緒)。それなりに面白かったが、車輪の下の感覚は味わえない。何やら「少年少女 青空文庫」というような名前の古典を短くした文庫はあったが、生来生意気で傲慢なのでそうしたダイジェスト本を読む気はしなかった。加えて言えば、恐らく日本人作家の名著は小学校の図書室でもあった筈だが、私は生意気だったので「俺は日本なんてどうでもいい、世界のレヴェルを読みたい」と考えて見向きもしなかった。

 結局、僕は市立図書館に行くしかなかった。ちょうど小学生五年のときに近所に図書館ができたばかりだった。そこには「大人向け」のちゃんとした文学全集があり、僕はそれを親から隠し、夜な夜な分厚い文学全集を読み耽った。

 まあ、はっきり言えばガキが煙草を吸うようなもので、何も分からなかったんだと思う。それでも、シェイクスピアやセルバンテスは面白みを感じた。

 しかし、罪と罰とカラマーゾフの兄弟は違った。僕の生意気さはラスコーリニコフも真っ青だったので、選ばれた人間には既存の制度は関係ない、なぜなら歴史を紐解けば、全ての制度は予め血塗られているではないか、という思想にはしびれた。と、言うよりも、そうしたことが活字になっている方に興奮したのかもしれない。その本を持っているだけで、僕は自分が思想犯であるような気がした。小学生の僕は自分が警察に追われているという感覚を感じていた。

 何せ人殺しの本である。革命と異常恋愛と貧富の差の本である。こりゃあ、親にも先生にも言えるわけがない。ギルガメッシュ・ナイトの方が数倍健全だったと思う(それにしても当時はあの時間まで起きてるのはつらかったのを思い出す)。

 僕はストレートに世の中が間違っていると思った。もっと皆で助け合って仲良くしようよ、と。僕はストレートにカラマの最後のシーンのアリョーシャの台詞に感動した。

 他にも当時の事情が僕を読書に向かわせたのだと思う。当時の僕はサッカーが好きで(幼稚園の頃にも日曜日のサッカーチームに所属していた)、高学年になると小学校の部活に入部したのだが、練習は驚くほどつまらなくて、元来コツコツした努力が嫌いな僕はすぐにサボるようになった。そうすると年上の先輩が僕を「さぼり魔」と呼び、事あるたびに絡んでくるようになる。そうなるとますます行きずらくなる。僕は早急に退部したかったのだが両親は一度始めたものをやめさせてはくれなかった。顧問の先生も親の了解なしにやめさせてはくれない。僕は日々、後ろめたく陰鬱にこそこそと隠れて暮らすようになり、毎晩、寝る前に「明日の朝起きたら、僕が部活に入部した事実がなくなってますように」とかなんとか祈っていた。

 罪と罰との関係を築いたもう一つの要素がある。驚いたことに自分の家の本棚にも『罪と罰』があったのである! 『決定版ロシア文学全集1 ドストエフスキー罪と罰』という本である。69年初版で72年の9判である。なにやら母親が高校生の時に新聞を眺めていると、全集の購読申込者に無料で一巻だけは配布してくれるキャンペーンを見つけたそうである。母は一巻を受け取ると購読を中止し、罪と罰だけが何故かうちの本棚に眠ることになったらしい。これが『罪と罰』との付き合いを決定的にした。というのは、小説を小学生の頃、小説は買えなかったからである。

 ただ、僕は小説を読むことを恥ずかしいことだと考えていた。何しろ駄目な人間ばかりが出てくる。傲岸で破滅的な人間で甘えた人間だと僕は認識していた。小学生の僕はそれほどに人間が弱いものだとは考えていなかった。中学生になる前に僕は文学と別れを告げた。「本なんて読むのは、小学生までだよ」とか友人に告げていた記憶がある。

 事実、中学生になると僕は本を読まなかった。忙しかったせいもある。僕はギターを弾く部活動に所属し、日夜、ギターの練習に精を出した。また、部活のほかに委員会や生徒会に所属したので本当に忙しかった。

 中三頃から、僕は再び本を読むようになった。いまはそんなこと思わないが、本を読んでから眠ると、次の日の目覚めがよいということを発見した。思春期には体力があり悩みがもんもんとして整理がつかないので、読書をすると思考が整理され、かつ、頭が疲れるのでぐっすりと眠れるのではないのだろうか。ベッドで読書するのは習慣となった。

 中三の僕は恋愛に進路に藝術に友情に悩みまくっていた。当時の読書で特に印象深いのはハビエル・ガラルタの『自己愛とエゴイズム』『自己愛と献身』やジョン・トッドの『自分を鍛える』などである。これらはベースになっている気がする。知的生き方文庫にある他の気を楽にするとか自信のつけるとかいう本も読んだ記憶がある。こういう本を読むと不思議とぐっすりと眠れたからである。僕は傲岸で罪深く常に人を傷つけ、愛情と友情の中でその罪意識に苦しんでいた。

 また一方で哲学に興味を持ち始め、よく分からないままカントを読み始めた。結構必死で読んだが、当時の僕にはよく分からなかった。当時の日記を読むと、理性がどこまでできるのかを知りたくてたまらないという様子や、美や崇高とは何かという問いかけに苦しんでいる様を知ることができる。僕は悩んで苦しんでいた。中三のときに付き合ってくれた女性には本当に感謝しきれない。なんというかため息しか出ない。いま思えば、彼女はソーニャのようだった。

 27にして中三を思い出してこのざまである。あほだな。