2008-04-14

戦争を語ること、戦争で語られないこと

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祖母の言葉を思い出していたら(祖母の知恵)、戦争について書いてしまった。

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昭和20年3月10日、電話交換手だった祖母はその夜のうちに32人の同僚の内28人を失った[1]。逃げることもできなかった彼女たちの焼け焦げた死体は消し炭のようであり、財布のがま口で死者の数を推定せざるを得ないほどであったという。

彼女たちは逃げられなかった。通信網が機能するうちは、逃げることを禁止されていたからである。当時の電話は、機械ではなく人間が一々接続作業をしていた。だからシステムが生きていたとしても、人間が逃げてしまっては通信が出来なくなってしまう。軍や政府にとって通信網は生命線である。電話交換手が「最後まで」業務を遂行する必要があったのだ。

飛来するアメリカ軍に対し、日本側の迎撃も虚しく東京の通信網は1時間後にダウンする。

そうして祖母が逃げられる頃には、周囲は完全に火の嵐となっていた。煙は成層圏にまで届き、風速は25mを越えたという。

多くの者は逃げることを諦めた。バラバラになって路上で死ぬよりは皆と一緒になって死ぬことを望んだのだらしい。しかし、私の祖母とその友人は、その嵐に向かって飛び出し、かろうじて生き伸びた。生き残った彼女たちは遺族に「何故あんたたちだけ生き延びた?」「逃げたのではないか?」と恨まれた。

敢えて言うが10万人が死んだ夜だ。彼女だけが特別ではない。そして、こうした悲劇も、空襲のあった街ならばどこでもあった話と思う。そう、そんな彼女たちの話はこんな絵本にもなっている。よろしければ手にとってみて、子供にでも与えてやって欲しいと思う。

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この文も彼女の戦争には何ら触れていない。ただの「それらしい文」の羅列である。自分で言うと自虐なんだかかえって傲慢なんだか分からないが、ゼロ点である。彼女の戦争はこんな文では一部分も描けていない。

幼ない頃からこの絵本を読んで育ち、種々の体験記を読んだ上で、かなり大きくなってから祖母に本腰を入れて話を聞いた際に、本の印象と彼女そのものの戦争が大きく異なっていることに戸惑った。どう違うのかを書くのは難しい。そもそも、この文そのものが、既に欺瞞に満ちているようである。

彼女だけではない。以後、何人かの戦争体験者とも話した。そして本も読み続けた。それでも、本で語られる戦争と、体験者が語る戦争は違うのである。別に作者の能力がないとか、捏造をしているとかいう訳ではないだろう。それでも、明かに何かが抜け落ちているのである。

私は体験者が語り開きつつある空気を信じる。いや、語り開きつつあると私に感じられた空気を信じる。私にとっての彼らの戦争とは、本が伝える戦争とは異なるのである。体験者が自ら筆を取り、真に語ったとしても抜け落ちるものがあるのである。そうとしか私は思えない。決定的な空気の質の差があるのである。

私は悩んだ。そして、ある程度の「結論」のようなものが出てきた。試しに書いてみる。書いている内に答えも深まるかもしれない。こんな話、誰にもしていないのだが。

ある意味で常識的なことだとも言える。「文体」や「文藝」が邪魔をしてしまうのだろうということである。書かれる以上、文藝的であることを避けられない。しかし、日常としての戦争、あるいは戦争としての日常を描くには、通常の文体は、あまりに文藝的すぎるのであろうか。そう。あまりに文藝的過ぎ、劇的過ぎるのである。

戦争としての日常は、人の死を劇的に描かないことでしか成立しえない。しかし、人の死をいかなる意味でも劇的に語らずに物語は語られうるのだろうか。死を無意味に語るような文体は存在するのか、この問い自体が、あまりに文藝的であり、恐ろしい問いではなかろうか。語ることは文藝的になりすぎる。文藝的になることを許さぬ深刻な問題であるときですら。そう「深刻」という単語自体が文藝的すぎる。事は極めて深刻なのである。

敢えて言えば、彼ら体験者の言葉は「深刻」ではないのである。どこか夢でもみたような語りになるのである。断片的で、途切れ途切れであり、現実味は薄れるのである。「核心部分」においてそうなる。曖昧になり、夢を見たかのようになる。

いかなる意味でも文藝的でない、夢を見たかのような祖母の言葉で語られる戦争以外に、私にとって真実の戦争はありえない。不謹慎な物言いであることを十分に自覚した上で敢えて言えば、戦争を「深刻」に語ることは文藝的すぎであり、それは真実ではない、ある種の詐術のである。彼らには「深刻」という感覚すら無いのである。そういう「余裕」はない。ただ、断片の言葉の端の端が、その呼吸の間が、語り開かれるべき現の場の空気を立ち現せ、仄めかすだけなのである。10万人が一夜にして死んだ夜はそのようにして、つまり語ることの否定を通じてしか語りえない。いや、この物言いは文藝的すぎる。もっと本当の意味で深刻であり、本当の意味で残酷であり、つまり、空虚なのだ。敢えて言おう。あっけらかんとしているのである。紙でも燃えるように「燃えちゃったんだよ」と語るのである。

もう少しだけ言ってみよう。人が愛することが無意味であること、人が死ぬことが無意味であること、人がただの肉であること、こうしたことをいかなる意味でも文藝に陥らず、物語るということは恐ろしいことである。不可能なのである。既に私の物言いは文藝的である。違う。敢えて言う。その夜において、人が愛することが無意味であった、人が死ぬことが無意味であった、人がただの肉であった。いかなる文藝的な嘆きを受け付けぬほどに、それが現実であった。

いや、私はこんなことを言って「俺は現実主義者だぜ。本当の現実を恐れずじっくり見てるんだぜ」なんて嘯きたいのではない。そういう物言いをしているうちは、ある意味、文藝的であり、ある意味、羨ましい。頑張れ、若者と言いたい。逆である。私の言いたいのは、人が愛するということは意味があり、人が死ぬということは恐ろしく、人はただの肉ではないのである。これは疑いようがない。これを疑う人はまだ人生を知らないと言っていい気もする。若い戦士の銃の引き金が軽いのと同じ理由だ、人生を知れば引き金は重くなるものだ。あるいは、単純に「愛は無意味だ」という言明そのものが愛の意味を語ってしまうし、死にしても同じことであることを考えてみてもいい。

更にはっきり言おう。愛に意味があり、死は恐ろしく、人は物ではない。だからこそ、それが「そうではなかった時」それは「現実」ではないのである。人間は愛を死を人間を無意味なものとして物語る言葉を持たないのである。「意味」の連続である人の言葉は「無意味」を表現することができないのだ。いや、これを空虚な戯言とは取らないで欲しい。この言葉の意味をよく考えて欲しい。人は空腹を語れる、苦痛を語れる、友を失なった悲しみを語れる。それどころか悲しみを感じない自分への違和感を語れる。更には悲しみを感じない違和感すら失われた違和感すら語れる。しかし「現実」はそこで終わる。何も感じさせる猶予もない圧倒的な殺戮、圧倒的な虐殺、つまり「無意味」を語ることは不可能なのだ。

体験者の言葉は夢のようになる。時間的・因果的な関係は悉く無効になる。確かに意識があった筈であるにしろ、彼らは言葉を失い、物語る力を失い、時間も因果関係も失う。彼らは「大切な部分」において、ある意味で「記憶」を失うのである。人は言葉において物語ることができ、物語において時間と因果関係が存在するのである。物語を失った「記憶」は時間を失い、断片となる。いかなる意味でも無意味だからである。本当の意味で無意味なことを人は物語れない。夢を見ているようになるのである。夢の話をするように、現実であったはずの話をするのである。現実を話しているのに、人は空を飛び、その時には死んでいた筈の人間が話し出し、語り手自身も死んでしまったり、全然べつの場所にいたりする。そういう風にしか語れない、つまり語ることを拒みつつでしか語れない「現実」が存在するのである。

しかし、まさにそこが彼らの経験の中心であると思った。言うまでもなく彼らは異常者ではない。それが正常な人間の正常な反応なのだろう。

言葉となった戦争は劇的すぎる。言葉は常に文藝的でしかありえず、文藝的でない言葉は存在しえない。死を何如なる意味でも文藝的でなく語れる人間は存在しえない。それは人間ではない。辛うじて、夢の中を語るように断片による仄めかしが出来るだけである。しかし、これは語り得ない。不可能だ。

いや、こんな物言い自体がふざけている。不敬である。冒瀆である。その上、気がついたらホロコーストの哲学の影響をもろに受けてしまっている。ほんと馬鹿みたいだ。

notes

[1] 非番が2人。つまり実質「生き伸びた」のは2人だけ