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最近の俺はプログラマだった。何してたかって? ごりごりperlとjavascript書いてた。んで、ajax+LAMPなブログシステムっていうか、まあそういうweb applicationみたいなの書いてた。
どうでもいいんだけど、いろいろアイディアがあった。
まず、スクロールがいやだった。記事をページをスクロールしないでも表示できる分量に切って見せるようにした。冗談で見た目をプレゼンテーションぽく、してみたりした。
次に書いたり編集したりするのにページロードしなきゃならんのがうざかった。んでajaxなことして非同期でテクストエリアのデータをごにょごにょできるようにした。高速なページの新規作成、編集が可能になった。
あと、記事のリストの操作性もどうにかしたかった。こいつもajaxにドラッグアンドドロップで記事のリストを通常表示のページから編集できるようにした。もちろん、一つの記事が複数のカテゴリーに登録できるようにした。
プレゼンテーションぽく表示するのは俳句や短歌などを表示するのに向いていると思う。これを綺麗なフォントで縦書きで表示したら、結構、需要ある気がする。ってか、もうそんなサービスくらいあるかな?
また、こうした非同期で高速に編集できるブログサービスだと、文書を人に見せる道具というよりかは、個人的なメモにもどんどん利用できると思った。ローカルなブラウザでjavascriptは実行されるから、ローカルアプリと編集動作の速度が変わらない。
まあ、事前にデータをリモートからロードするからそれがハードディスクから読むのよりは遅いのと、メモリにのっけるから、そこらへんがうざい程度。
でも、このブログみたいに読まれることよりも、便所の落書きか自分のメモ帳として利用している場合には、高速に編集動作ができるのは、なによりもうれしい。
んで、もっと個人の情報管理に使えはしないだろうかと思った。
んで、俺はさらにコードを書いてみて、事態は 「Web OSだぜ!」ということになった。
いやね。俺はweb osってあんま魅力感じてなかったんだよ? ローカルでできることネットにのっけてどうすんの? みたいな。
でも、作れば作るほど、webで全部できるようにすることには魅力があることに気がついた。
ちと、脇道。(てか、いつも脇道だけど)
ほら、はてブとかdel.icio.usだっけ? あるじゃん、ソーシャル・ブックマークとか言うやつ。でも、あれ、インターフェースとしてはあんまでしょ。とか思う。タグだとか言ったってやっぱ面倒だよ。
大体、最初にユーザに分類させるというのがよくない。情報は客観的に分類できるものではないんだ。主観的に状況に併せて分類というものは自然に起きてゆくものなんだ。分類の方法そのものが流動的であるから、特定の分類方法にのっとって最初から分類を促す情報管理法は必ず破綻する。
だからインデックスカードとか京大カードを管理する方法というのは、結局、次々書いて箱に放りこんで、それが仕事なりアイディアなりで関連して互いにくっついてゆくのを日々見守るしかないんだ。最初から分類しようとすると絶対に破綻する。
これはネットの情報の場合であっても同様のことだ。デジタル情報はコピーもリンクもできるけど、基本的に分類は破綻するというのは変わりがない。だから、最初に分類を促すシステムというのは、ちっと情報管理を考えた人間にとっては最悪なサービスにしか見えない。
まあ、ネットの場合は全文検索がすぐれてるから分類しないで放りこんで、あとでザクッと検索かけるというのが現実的なのかな? 最初セコセコ分類しておいても、結局全文検索かけた方が見付かる、とか、そもそもググった方が早いとかなったりする。それは、当然のこと。
まあ、やりゃわかるよ。アイディアとか創造という行為と「分類という思想」が相性の悪いことは。
それでも、人は分類する。なんでかというと、「探す」手間を減らすというよりは(いや、最初はそうだったろうけど)、分類という行為事態がアイディアを醸成するためだ。
上で、「仕事なりアイディアなりで関連して互いにくっついてゆくのを日々見守るしかない」と書いたけど、そういうこと。最初から分類項目ができてんなら、ごちゃごちゃ分類しないで仕事すりゃいい。分類を「あーでもない、こーでもない」とやることで、考えても見なかった関連が思いついたりする。
固定した分類じゃなくて、こうした試行錯誤の分類はそれ自体が創造行為なんだろうと思う。
んで、脇道から戻るけど、いまのサービスは「固定した分類」って思想が主流で、「試行錯誤の分類」がやりにくい。
じゃ、どうする?
んで、俺はドラッグアンドドロップで分類ができるインターフェイスが必要だと考えたわけ。それも、一つの項目が複数の場所にも置けるようにしたら更に「あーでもない、こーでもない」って分類しながらアイディアが湧きやすいかな、と。
まあ本当は手を使ってほんとに箱にいれたり出したり、机の上にばーと並べるのがベストなんだけど、そういう実世界インターフェイスってのは、まだだしね。
で、結論としては、ひとまず全部の情報を「受信箱」みたいなのに放りこんでおいて、後からドラッグアンドドロップという(リストから選択したり文字を打つよりかは)最低限直感的な方法で関連情報を並べてゆく、ということになった。
そしたらね、考えたんだけど、ブックマークとかメモとか全部をこうしたインターフェースで管理できたらいいなー、とね、思い浮かんだんだ。ブクマとかメモとかウェブページとかブログとかメールとか関係なく、全部、放りこんで、それをドラッグアンドドロップで分類するというインターフェイスをね。
そうすりゃ、全て同じインターフェースでやれて便利じゃん? と。
またローカルアプリよりウェブアプリの方が旨味があるかな、と。そのサイトの中にブラウザ出しちまえば、なんでもできる。ローカルアプリだと、そのアプリ立てて、他のブラウザからD&Dすんのとか、ちと面倒。また人にメモとかブクマ見せんのとかも楽だしね。
んで、さらに考えたのが、結局分類されたものはアウトラインのようになる。だから、ネットワーク透過なアウトラインエディタをウェブアプリで作ろうとしているんだな、俺は、と考えた。メモもウェブサイトも同じインターフェースでD&Dできるんだからね。
さらに言えば、そのウェブアプリは「ブラウザ」も持つから、他のウィンドウもタブも開く必要はない。(とかいってxmlhttp.requestでクロスドメインする方法とか、よくわかってないんだけどね)
まあ、ある意味、超漢字の実身仮身みたいなのをウェブアプリで実装して、そいつを共有させたりもできるようにしたりしてんのかもしれない。
まあ、書いてるのもだるくなったんで、そんなこんなで。
新年も妄想いっぱい、夢いっぱい。
アウトラインというのは情報にアクセスするための道具ではない、アウトラインはそれ自体が情報である。アウトラインとは情報構造化の仕方であり、その構造化の仕方の重要さを考えると、それ自体が作品となりえるだろう。
例えば、百科事典は情報を大量に抱えているが、私たちはそれを通読しない。百科事典の情報の構造化の手法は五十音でありとてもじゃないが、通読するものではない。もちろん、関連事項などのリンクがあるが、通読するには全体的な構造化がなされている必要がある。情報とは別にアウトラインがその情報の価値を高めるのだ。
情報がネットワーク化され、要素に簡便にアクセスできるようになった近い将来には、更に情報とは別に「アウトライン」をやりとりする需要が高まるとわたしは考えている。ブラウジングしにくいサイトに対し、目的にあわせたそのサイトの「アウトライン」を利用することで、効率的にそのサイトを閲覧できる。
実はこの何年間もwikipediaを構造化したいと考えているのだが、ようやく具体的なフェーズに移行できそうだ。
あ、本気にしないように。