2006-12-04

製本でネットと本の力を融合

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「ネットでは短文しか読まれない」という問題に対し、簡易製本することで乗り越えられるのじゃないかと考えた。

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以前、文章の三つの長さについてメモをした[1]。文章とは短文、長文、本の三種類に、長さ・内容の点で分類できるというものだ。それぞれの文字数は原稿用紙でおおよそ3-4枚、30-40枚、300-400枚ということになる。A4換算では、1枚、10枚、100枚である。また、短文は「記事」や「コラム」、長文は「レポート」や「論文」の長さであるとも言える。

ところで、通常のブログでは「短文」までしか読めないのではないかと思う。印刷してA4で一、二枚程度でないとディスプレイの横書きの日本語を眺めるのはつらい。短文を読むのにかかる時間は、一分で400字読むとして3、4分、800字として1分半から2分[2]。どうだろう? それ以上だと読む気を失ってしまうのではないだろうか。そうであるならば、私達は「短文」程度の文章にしかネットでは普段触れていないことになる。

形式は内容を規定すると私は考えている。つまり、文章の長さは内容を規定する。そして「本」は「長文」が有せない内容を表せるし、「長文」は「短文」では有せない内容を表わせると考えている。

この考えが正しいとすると、普通にネットでの情報を摂取していると短文の長さの枠内での内容しか摂取していないことになる。つまり、通常のネット利用では「長文」や「本」の内容にアクセスできないということになる。

これは問題である。ネットを眺めればひとまずの情報が手に入るとき、本を読むという行為は少なくなると思う。そうであれば、「短文」にしかアクセスしないことによる情報量の低下をもたらし、更には「長文」以上の内容の吸収力の低下も懸念される。こうして「ネット短文」への依存の悪循環が生じる。

「ネット短文」の悪循環を「印刷」で乗り越える

しかし、私が言いたいのは「本に戻れ! ネットを捨てよ」ではない。ブログやwiki、掲示板などで普通の人が文章を公開する技術を手に入れたことは評価するべきである。そして、必要なのは、その「公開する技術」を高めることである。

一つの解決策として、「印刷物」としてネットで公開するというのはどうだろう? ブラウザで読むことは想定せず、印刷し、更には製本して読むことを想定したネットの利用を私は推奨したい。技術的な問題はない。現代の高機能なプリンタならば両面印刷や製本用の割付は難なくこなす。それを製本し、書籍の形態にすれば、ネットのフリーの力と書籍のインターフェース[3]のよさを両方利用できるはずである。読者はテキストを入手し、好きなフォント、多きさ、デザインで書籍を作れるのだ。自由なテキストを本にしてこそ、ネットの力もいかされると思うのだが、どうだろう?

「んじゃ製本機?」と思うかもしれない。ちがう。実は製本機は必要ではない。

グルーボンド! グルーボンドがあれば、簡単に紙を書籍状にできるのだ。両面印刷された紙を束ね、グルーボンドをペタペタやればいい。とても手軽で安価だ。ボンド自体は100円で20本入りが変えるし、装置も500円も払えばお釣りが来た気がする。ホチキスなんて使ってる場合じゃない!私はグルーボンドを初めて使ったとき、本当に感動した。

好みで表紙や背表紙に凝ることもできる。別にどうでもよければ、固めの紙を表紙にして、背表紙に製本テープを貼って、自分でタイトルを書けばいい。

ネットと本は融合できる! 安価で手軽に!

notes

[1] 「文章の長さ」digi-log, 2006.11.12 http://digi-log.blogspot.com/2006/11/blog-post_6706.html
[2] 通常アナウンサーが250-300字/分程度の速度で読み上げているらしいので、普通の人が文字を読む速度もその程度かそれよりやや早い程度と考えられる。
[3] 「インターフェースの未来は「物」概念を変える」 digi-log, 2006.12.3 http://digi-log.blogspot.com/2006/12/blog-post_8448.htmlにも書いたが、現在の実世界を模倣したインターフェースではディスプレイという障害のために、実世界の書籍には追いつけないだろう。もちろん、コンピュータのインターフェースが革新する場合もありえる。ただし、その場合には、また他の問題が生じるだろうが。
[4] 電子書籍端末の普及がネットに与える変化では、ネット短文の問題を電子書籍端末の普及が解決するのではないかと考えている。