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前回の読書法(1) 読むべき本を知るでは、高校のときの思い出を語った。まあ、だいたい以下のようなポイントを書いた。
- 文学全集や世界の名著シリーズを、飽きたらポイしながら、何回か繰り返す。そうすると全体の流れが分かり、理解が深まる。
- 図書館の司書に読むべき本を教えてもらう。
- 新刊書店はあてにしてはならない。店員もあてにしない。
- 本は買えれば買うに越したことはないが、無理する必要はない
- 思い入れのある作家は揃えると嬉しい(文庫で出てる作家なら結構可能)
今回はその続き。基本的な本の読み方については 本全体を把握する本の読み方 や 『本を読む本』で基本的な本の読み方を学ぶ などを参照ください。
図書館の司書と仲良くなる
まあ最初に前回のを補足すると、新刊書店でおもしろそうな本を探すというのは、中学の時から本を読んでいて本を選ぶ勘が鋭い人ならばともかく、普通の高校生では、面白そうで全然つまらないニセモノを掴む可能性が高い。まあ、途中で「あれ? これ全然つまんねーや」と思ったら捨てればいいのだが、結構、高校時代というのは真面目なもので、「いや、きっと、分からない俺が悪いんだ」とか「せっかく買ったんだ、勿体ないから読もう」とか無駄な資金に続いて、無駄な時間まで浪費してしまうものである。くれぐれも「ホントは面白くないんだけど、無理して読みおえて、友達に『面白いぜ』とか言ってしまうニセモノ」だけは読まないように。
だから、はっきり言って、新刊書店なんて相手にしない方がいいと思う。それならば、司書さんに、人類が長い間「うん、これは面白い」と言い続けてきた本を教えてもらうのがよっぽど効率がいい。勿論、時代が変われば感性が変わる部分がないわけじゃない。が、予想以上に人間の基本的な性質は変わることはないらしい。人の欲望なんて結局同じであり、愚かさも異なることはなく、また、高貴さも変わることはない。結果として、ギリシア時代のものが、現代の日本の若者が面白く読めるということが起きるのである。まあ、いくらかは言葉や表現の翻訳に加えて、時代設定の翻訳は必要だが、それほど難しくはないだろう。その程度で読めなくなるようなものであれば、それが本質的な何かを描いた本でないからであり、そうであるならば歴史に名を残すはずはないだろう。
繰り返し読む本しか買わない
上と矛盾するが、私は生意気だったので、司書さんと仲良くしながらも、新刊書店で本を買った。これは失敗談である。私はなけなしのバイト代をはたいで、無駄な本を買い「あー、全然、おもしろくねー」「うすっぺらい!」「おい! 結論がねーぞ! 結論が!」「あおりだけじゃーん」と嘆いていた。いくつかの新書は確かに知識を与えてくれたが、そんな本なら買う必要はなく図書館で借りて一度読めば十分であると断言できる。
金のない高校生にとって、買う本は繰り返し読むのは鉄則である。つまり「一生読む!」と確信する本でない限り、買う必要はないだろう。
「ちょっと待て、俺は書き込みをしたいんだ」という人もいるかもしれない。一度しか読まない本をマーキングして読みたいツワモノな高校生なんて嫌いだが、アドヴァイスをしよう。
まず、ポストイットでかなりの部分代用できる。次に、時間があるんだから、メモは十分にとればいい。これで高校生レベルの読書は対応できる筈である。研究とか仕事で本を読む歳になったら、そういう心配は別にすればいい。今は、ただ、読めばいい。小細工はいらない。そういう読書が知性として二十を過ぎたあたりから溢れてくるだろう。そうなりゃ、いい女がほいほいよってくるぞ。本当だ。そして痛い目を見て更に芸術にはまり込むことだろう。これは完全な法則である。
本を書き写す
そうだ。なんなら一度、本を一冊、全文書き写してみたらいい(俺は何度かやったことがある)。本に書き込みをすると記憶に残るとか中途半端なことを言うのなら(いや、そんなこと大人になってからでいい)、高校生なら、ばりばり、メモをとって、感想文を書いて、気にいった本は一冊まるごとノートに写せ。そして、それを音読しまくれ。惚れこんだフレーズは暗記しろ! 窓から空に向かって叫べ!
そうそう。おれはやらなかったが、書き抜きノートを作るのもいいかもしれない。「書き抜き」なんて俺には小細工に感じるが、まあ、妥当な作業かもしれない。これは、本を読んでいて気にいった文に印をつけておいて、後でそれをノートに写すのである。俺は一冊写すことをかなり勧めるが、まあ、普通の高校生はそんなヒマないと言うだろう。まあ、仕方ない。でも、それならば書き抜きノートくらいは作るべきだ。書き抜きながら読書をしたら、そのノートが宝であり、本は図書館に返してもいいだろう(ちなみに、俺が筆写したのは購入した本だけだったが)。金と時間を有益に利用する権利は君にある。
そういう若者なら既に溢れんばかりのエネルギーを安い大学ノートに書きつけていることと思う。そういう、ゴチャゴチャした、多くは恋愛や友情、正義や芸術、進路や人類の将来を意味不明に書きつけたノートは宝である。決っして捨ててはならない。
小細工を教えるのは嫌だが、一つだけ教えたいことがある。それは三冊を一冊にまとめた方がよいということだ。大学ノートが三冊くらいになったら表紙を破り捨て(いや、綺麗に取ってもいい)、ノリで三冊をくっつけて、ホームセンターで買って来た製本テープを背表紙に貼るとよい。大学ノート一冊では薄過ぎるので紛失の可能性があるからだ。是非、やっておいた方がよい。俺は何冊ものアホなノートがどっかに行ってしまい、いつか家族に発見されるのではないかとヒヤヒヤしている。そんな不安は君たちにさせたくない。
せせこましいことを考えず何度も読む
読書が役に立つとか、そういう、せせこましいことは考えんでよろしい。まあ俺は、マーキングのための記号やら線やらをシステマチックに案出したが(これはいつか書くかもしれない)、そんなことは必要になったらやればよく、「あー、こういうことやると後で有益そうだな、ふむふむ」なんて小細工はしないでよろしい。
とにかく何度も読むことである。私は最初の通読の後には、ランダムにページを開いて、そこから前後に読み、イメージをふくらませていった。ランダムアクセスの他、最後の章から読んでいった本もある。高校生にとって小説も哲学も同じである。ただ、せせこましいことを考えずに、ひたすらおもしろがって読めばいい。お勉強する必要はない。
黙読だけではない。音読するべき文章もあるだろうし、筆写すべき文章もあるだろう。暗記するべき文章もあるだろう。それに対して感想文を書くのもいいし、フレーズをつけて唄うのもよいし、ヘンテコな絵を描くのもよい。とにかく、エネルギーだ! 気合だ! (俺はそんな高校生嫌いだが)
一人の作家にはまる
その上で、一人くらいのお気にいりが出てきたら、そいつをおっかろ。まあ、伝記くらい読むのもいいかもしれない(俺は小学生の時を除いて人の伝記を読んだことがないが)。そいつが、どういう思考経路をしているのか作品から読み取り、そいつを架空の友達にすればいい。そういう尊敬すべき友達を何人か持つと楽しくなる。ネットでアホな友達を作っている場合じゃない! ガキの「趣味が似てる」「感性が好き」なんてどうでもいい! 若いんだったら、巨大な思想家や骨太な文豪、天才的な科学者を友達にしろ!そして叫べ!
「分かる! 分かるぞ、お前の気持!
お前のことは俺が世界で一番良く分かる!
お前のここの部分をこれだけ深く理解できるのは、世界で俺だけだ!」
(まあ、そういうガキのときのイメージはただの勘違いではあるのだが、それはそれ、これはこれである。若いのだから勘違いを恐れるなんて小さいことをする必要はない。私は責任はとらないが)
おもしろくない本は読まない
ただ、とにかく、面白くない本は無理して読まないことである。これだけは、くれぐれも注意して欲しい。だから、とにかく一流と呼ばれる本は、片っ端から開いてみるといい。んで、つまらなれば棚に戻せばいい。文学や哲学だけじゃない。画集や写真集だってあるだろう。数学や物理の本だって開いてみるといい。コンピュータ・サイエンスの本や工学の本、政治や経済の本、様々な分野の書物が存在する。そのうちのどれかが、君の心を鷲掴みにするかもしれない!
しかし一度読んでつまらなかったからと言って、二度と見ないというのはやめた方がいい。歴史に残った本であれば、何度かチャンスをあげた方がよい。そういう意味でも全集のようなものは何度かトライするよよいと思う。ふとした拍子に、その本の面白さに気が付くことがあるものだから。とくに、文学や哲学は、何度かチャンスをあげた方がよいと思う(ただ、結局、どの分野でも一流の本であれば、文系も理系も遥かにこえて、分野はジャンルも越えてしまい、ただただ人類の優れたものがあるだけである場合が多いとは思う)。「人間であること」つまりヒューマニティーの奥深さは、若いうちが一番理解しやすいと思う。