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私は本を読むのが早い方と思う。人にも言われるし、自分でもなんとなく思っていた。今回はその方法を書く。
私の読む速度
その前に今の速度を申告する。昨日、240頁の単行本を読んでみて、ふと読み終わって時間を見たら30分もかかっていなかった。内容は気功関係であり、内容は割に濃いめであったと思う。ただ比較対象が新書などと比べての話であり(新書は5-10分で読める)、学術的、文学的、哲学的な書物と比べての話ではない。
「なるほど、テレビを30分見てる間に一冊本を読めるのか」と、なんとなく思った。これが今の私の標準なのだと思う。普通の人よりは早いだろうが、職業的に読書している人や「速読」の人と比べると遅いと思う。ちなみに、私の信頼できる友人がこの速度より遅いとは思えない。
私は一日一時間半前後は読書にあてていると思うので、なんとなく2、3冊は読んでる。中には昔から読んでいる小説や哲学書をパーっと読むこともある(そういえば、最近は新規で分厚い哲学書や小説に手を出さなくなった)。
以上が大体の私の読書の量と速度である。人に偉そうに書くほどではないが、まあ少しは早い方だというのがご理解いただけたかと思う。だから、私よりも既に早い人にはあまり参考にならないかと思う。
読書が遅いならテレビを見た方が効率的
「テレビは時間あたりの情報量が少ないから本を読もう」などと言う人がいるが、それは人によるとしか言えない。一冊に何時間も掛かるようならテレビを見た方が効率が良いと思う。事実、よくできたドキュメンタリーの時間あたりの情報量は通常の本よりも確実に大きい。それに映像や音声は書籍では触れられない。いつも思うのだが、読むのが遅い人が読書を礼賛しても、なんの意味もない。
「速く読むのもいいが、それじゃあ文章を味わえない」と思うかもしれない。それなら漱石や芥川、鴎外が大量な書物を素早く読んでいたことをどう考えるべきか。そもそも、一定量の読書がなければ、文章を味わうもなにもないと思う。それに速く読めるようになっても、遅く読むことは出来るのである。
若い人は早いうちに、早く大量に本を読むコツを身に付けて欲しいと思う。
1. 同じ本を何度も読む
まず、誰にでもすすめられる速読練習法である。
一度読んだ本を二度目に読めば、当然早く読み終わる。三度目には頁の印象すら覚えているかもしれない。四度目には頁を見ただけで、内容があちらからやって来るだろう。
こうして何度も読んでいくと、最終的にはパラパラとめくるだけで、本を通読することができるようになる。
「そりゃ、何度も読めば内容を覚えているんだから、パラパラめくるだけで通読した気になるのは当然だ」と思うかもしれない。
しかし、考えて欲しい。いや頭で考えるのでなく、心で感じて欲しい。「なぜ、頁を見ただけで、内容が飛びこんでくるのだろうか?」いったい、その時、何が頭の中で起きているのかと。これが、初めての本でもできるようになれば、かなりの速度で本が読めるようになる筈である。
文字を追わないでも、ただ頁を見るだけで内容が飛び込んで来ることが出来ることを確認して欲しい。それは記憶に補助されているが、それだけではない。どこかで意識の底で頁の内容を把握している筈である。ならば、その意識の底の把握能力だけで「ああ、この頁はこんなこと書いてあるな」と感じるようになれば、かなりの速度で読める筈である。
繰り返し読むことによる高速化は、速読体験の基礎となると思う。是非、お気に入りの本を何度も読んでみて、その感覚の変化を吟味して欲しい。
2. 一日に数冊を無理しても読む
速読をしようと思っても、読む量が人並ならば、速度も向上しない。必要に迫られて能力は開花する。ならば、少し無理そうな冊数を一日のノルマにして、ガバーと読むようにすると、適度なストレスがかかり、速読を体が覚えてくる。
具体的には、一時的にでもいいから一日10冊以上は読書すべきかと思う。それくらいの量の読書をしようと思うと、読書の方法も変わってしまうし、質も変わってしまう。ただ、理解も関係なく、頁をめくり続けていればよい。どちらかと言うと、文字をきちんと追うよりも、ぼんやりと頁を見ながらめくるとよい。頁を見て内容を知覚する直感能力、勘を養っているのだ。
また、多量の読書が与える知識が、他の本を読む速度を向上させるだろう。
3. 後から読む、でたらめに読む
これも私が無意識にやっていた読書練習法。
私は生まれ付きひねくれているので、たまに本を後の頁から読んだ。最初は意味不明にしかならないかったのだが、ある日、何度も読んで、頁を見るだけで内容が飛び込むようになっていた小説を後の頁から眺めてゆくと、意味が分かることに気がついた。小説を後から読んでも、きちんと時間が逆に流れる小説になったのである。面白くて一人でとても興奮した。
また、小説でなくとも、普通の本でも後から読める。前提→事実→結論というような流れの文章は、結論→事実→前提と読んでいっても理解はできる。「雨が降ったから、家で寝ていた」が「家で寝ていた。雨が降ったから」でも理解できるのと同じである。
更にひねくれている私は、ちょっとした文書なら逆からでも読める。文ごとに視野に入れて、内容を把握し、文書の論理・時間構造を逆にたどるのである。
この遊びの何がよいかと言うと、文字をきちんと追わないと意味が把握できないという偏見を脱却するためである。「桃太郎は旅立ち、仲間と出会い、鬼を倒した」という文章は「鬼は桃太郎によって倒された、その前には仲間を集めがあり、その前には旅立ちの日があった」という風にも読めるのである。
こうした感覚を養うと、読書が「文字を追う」から違った次元になってきて、かなり速くなると思う。
4. 目次を眺めて内容を予測する
読むのが遅い人は本を一つの塊として見ていない。延々と続く文字の羅列である。
この状態を脱却するには、目次を利用するのがよい。目次を眺めれば、本の凡その枠組みは理解できる。そうならば、目次を眺めて内容を予想してみて、その後で本文を読んで予想と実際がどの程度違ったかを考えるようにすると、本を一つの塊として認識するようになる。
そのためには、本を読む前に、目次を暗記するとよい。目次に知らない単語があれば調べておく(本文を見る)。そうして目次を暗記してから、頭の中で本の全体像を思い描くのである。
読書後には再び目次を見て、当初の印象とどのように変わったかを吟味するのである。
5. 読了後に本を思い出す
本当は友人にどういう本だったかを語ると良いのだが、なかなか難しい。そこで、一人でぼんやりと空でも見ながら本の内容を想起するのである。出来ることなら、頁の映像を思い出し、更には何個かの文章も思い出してみるとよい。
ただ全体としては細部にこだわらず、どういう枠組みの本だったかを思い浮かべられればよい。その点でも目次の暗記は役に立つだろう。
6. 姿勢を正す
別にいつものノリで書くわけじゃない。結局、読書の一番のロスは固定した悪い姿勢で疲れてしまうことなのだ。
一冊に30分かかるなら、30分は姿勢を保持しなければならない。2時間なら2時間、姿勢を保持しなければならない。ただ、普通は姿勢を保持できない。机からソファー、ソファーからベッド、ベッドから夢の中へと読書空間は移動し、多大なロスが生じる。気を抜くのだから、確実に読書の集中は奪われ、速度は落ちる。
そこで、最初からよい姿勢に気をつけるのがよい。結局は背筋を伸ばして、顎を引いて、頭頂を床にぶっさすように坐ることである。勿論、書見台も利用したい。
そこで固定した姿勢で集中できれば、かなり時間の面でも精神面でもロスが少なくなる。
坐って姿勢を決めたら「よし、読了までは動かないぞ」と肚を決めて読書に望むのもよいと思う。読書坐禅である。そのうち「悟るまでは動かないぞ」と言って瞑想し出すのもよいかもしれない。
おわりに
以上のことを私は速読の練習というより、遊びとしてやって来た。やってみると楽しいものであり、読書の方法が変わり速度が速くなる。よろしければ試してみてもらい、感想を教えて欲しい。
ただ、結局、一番の速読を身に付ける方法は、大量に読まなければならない状況に身を置くことだろう。職業だけでなくとも、学生ならば旺盛な知識欲が読書能力に刺激を加えるだろう。人間の必要に追われての適応能力は高く、また堕落の適応力も高いのである。