2007-06-29

[書評] 日本人の正しい食事 - 現代に生きる石塚左玄の食養・食育論 / 沼田勇

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本書は石塚左玄の食養・食育の原理を解説・紹介し、その上で、具体的な献立やレシピ、月毎の献立案など実践面も提供している。

付録に石塚家家系譜、石塚左玄年譜、食養会発起人並びに協賛者、明治天皇と石塚左玄、石塚左玄逝去以降の食養関連年表、ビタミン類/有効微量成分/ミネラルの働きが付いている。

昨今「食育」が叫ばれているようだが、石塚左玄は近代日本の食育のベースとなっているようなので、見ておいて損はない。

特に欧米ベースの翻訳栄養学への批判に留意しておくことは大切だろう。日本人と欧米人は身体構造も食の伝統も異なるのであり、食文化の安易な追随は日本の食文化の破壊のみならず、日本食が育んできた健康すらも破壊するやもしれない。

著者について

著者の沼田勇は1913年生まれの医学博士。

北里研究所から軍医として中国に渡り、中支派遣軍150万人の復員時は、消毒薬皆無という劣悪な環境だったが、水分摂取を指導することでコレラ、赤痢などの感染者を一人も出さなかった。これを国連WHOが沼田法として採用。

1954年に日本綜合医学会を創立し現在永世名誉会長。

ちなみに断食・小食療法で有名な甲田光雄は日本綜合医学会第5代会長で、現在名誉会長らしい。

石塚左玄 - 食育の始祖

石塚左玄(1850〜1909)は我が国の「食育」の始祖。陸軍少将、薬剤監。欧米近代医学を学び、陸軍軍医の道に入り、その頂点にまで達したが、陸軍退役後、大日本食養会を創設、食べものによる病気直し、食養医学を唱導、今日の自然医学興隆の祖となる。

沼田によれば、石塚左玄の食養法は以下の五つの原理とのこと。

1. 食物至上論 - 命は食にあり、薬として食を重視する。したがって食を道楽の対象にしない。

2. 穀物食論 - 肉食動物でも草食動物でもない人間にとって、最も適した食物は穀物である。

3. 風土食論 - 順化適応した先祖代々の食、″おふくろの味″を守ること。守らないと淘汰される。淘汰が病気である。

4. 自然食論 - その土地、その季節のものを丸ごと食べること。丸ごととは命全体をいただく。

5. 陰陽調和論 - 健康長寿の秘訣は食のバランスを保つことである。

具体的には、玄米などあまりついていない雑穀の主食に、野菜、海藻、豆類、魚介の副食というのが日本人にとっての理想食なるとのこと。そうした食材を、素朴で単調な、その土地の気候風土に培われた伝統的食構成でいただくのが健康を育むらしい。

食生活の体系を再考する

また、食生活の体系を探り直すために以下の三つを考え直してみる必要があるという指摘も参考になった。

(1) ある民族の食生活の体系は、その風土に規定され、その自然力を最大限に発揮させる農業や漁業の仕組みによって決定される。つまり、生産が消費を決定する。

(2) 食生活の第一義的な要件は、それによって、人間が健康な生命を維持し活動して子孫を残し、永続的な繁栄を保障することである。

(3) 食の嗜好は、(1)の風土と農漁業生産の仕組みのなかで、長い年月の間につくられたものであり、そこに消費者の調理・加工・貯蔵などの相違が重なりあって生まれたものである。

私も、風土を無視した食生活は、結局は心身の健康を損うだろうと思う。私たちの心身は、その風土で生きるように最適化されている筈なのだから。そして、そうした心身を損なうような食生活は、本来の食の機能を果たしていないとも言えると思う。

食は健康を生むことが第一義であり、「おいしさ」はその下の問題である。

いや、無論「おいしさ」も大切である。

しかし、そもそも味覚とは、文化や伝統、ひいては風土の問題なのだ。土地の恵みと、その土地のものを食いぬく営みとの相互作用の中で、味覚は育まれ、継承されているのである[1]。その土地の恵みが「マズい」と言って食えない人間は生きぬけない。味は覚えるものなのである。

その風土の味覚を受け入れるようになることが、本来のその土地の構成員として成人する一つの条件かと思う。「これが食えるようになったら大人」という感覚は、いまだにあるのではなかろうか。

郷土料理の真髄は大概、他の土地の人間にはクセが強過ぎる。「名物にうまいものなし」である。ただ、そうした土地のクセを好むように、土地の人間は成長してゆくものである。それを食わなければ生きぬけなかったのかもしれないし、それが薬なのかもしれない。あるいはその土地の人々の情感が溢れているのかもしれない。

そうした土地のクセを覚えることもなしでは、そんな味覚は薄っぺらい、子供の味覚である。塩辛や梅干しも食べられない海外の人にに日本料理を語られたら、どういう気分になるか考えて欲しい。

それに、子供の味覚は「薬」を好まない。単純に甘い味のみを求める。それに、どういう訳か、インスタント食品や冷凍食品、ジャンク・フードに特有のクセを好む傾向もある。これでは心身を壊す(大概は歳をとると食べずらくなるものだが)。ちなみに、特に昨今は牛丼とハンバーガーという二大牛肉ファストフードが日本人の心身に大きな悪影響を与えているのではないかと考えている。

子供の味覚を脱し、大人の味覚になること、つまり味覚の成熟が心身の健康につながると私は考えている。それは案外に素朴で、質素なものである。しかし、クセがあり、味わい深く、懐しい。


私はしばらく本書を参考に玄米と、旬の日本の伝統的な料理を試してみたいと思っている。また、伝統的な保存食も自分で作って試してみたい。天然の塩など素材にもこだわってみたい。

なんだかとても贅沢なことを言っているが、値段にしたら大したことはない。こうした贅沢は、とても豊かだと思う。

あなたも、「日本人の正しい食事」を試してみてはいかがだろうか。懐しいが、新鮮である。

notes

[1] 生産が嗜好を規定するという点については食文化試論を参照。体で食えも同じ路線の文章。

また、逆に、味覚から生産が生まれる可能性について考える方もいるかもしれない。流通の拡大によって土地以外の味覚に晒されて、本来の味が変化する危険については既に[書評] ワインの個性 / 堀賢一に以下のように書いたので参考にして欲しい。

その土地の風土とそこに暮らす人々の営みの産物としてのワインの個性は次第に絶滅に向かっている。何度も飲んで初めておいしさが分かるようなワインは、その文化を知らない人々には売れない。そして、すぐにおいしさが分かるワインばかりが流通するようになる。そして古いタイプの頑固なワインは姿を消してゆく。
私は、なんでも「おいしー」で済むような個性を失なった味覚など、味覚ではないと思う。なんでも「かわいー」という美的感覚が、美的感覚でないのと同じだ。

また均質化した味覚については海原雄山とメガマックにて、ジャンク・フードとグルメは、日本の個性的な伝統味覚の放棄と大規模な流通による味覚統一現象という同じコインの表と裏であると主張した。この意味で現代日本は「一億総立食い」社会である。

日本人は味覚を、食の伝統を取り戻せるのだろうか?