2007-08-10

悩みについての戯言

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私は悩むことにかけては自信があるのだが、それは全く得にならない。「ああ、悩んでてよかった」ということは今までもなかったし、これからも確実にないだろうと思う。

しかも、悩んでいれば当然悩んでいる人が友人になる。ルイトモである。おかげで悩みのネタには苦労しない。誠に持つ者には与えられ、持たざる者は最後の一つまで奪われるのである。

かくして悩みは雪ダルマ式に巨大化してゆく。

個人的な小さな悩みが世界人類全体の苦難についてまで膨らむのに一分は掛からない。

ところで、私は悩むことに自信があるのだが、悩むことは当然、自慢にならない。悩むことに得がない以上、誰も悩みたいとは思わないからである。故に、誰も自分よりも悩んでいる人を見て「いいなあ、素敵だなぁ」とは思わないのである。

世界が悩んでいる人を評価していたらどうなるだろう。

電車に乗ったら
「夏は愛され悩み顔 - 悩みメイクの20のコツ」
「勝ち組、負け組 - 分けるのは日々の悩み方」
「成功者は悩む - 日本人よ、誠実に悩んで生きよ」
という広告がぶら下がっているのである。

ふと、耳をすませば「ねーねー、彼ってかっこいいよねー」という女子高生の会話。もちろん「もう、悩んでる顔がたまらない」という訳である。

そして笑っている人間には侮蔑の言葉である。
「なんで○○君ってさ、意味もなく笑ってるんだろうね?」
「ねー、きもいよねー」
「やっぱりさー、いつも悩んでなくちゃねー」
「ねー」

すばらしい。