2008-04-12

4年前のメモ帳より

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昨日のエントリで、4年前のメモ帳を開いたら結構おもしろかった。写しておく。たまに手書きのメモやノートをこちらに写すのもいいかもしれないと思った(といって面倒だからしないだろうけど。そもそも人に見せないと思って書くから書けるわけだし)。

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よくコンピュータは脳に喩えられる。違う。脳はシステムであり、コンピュータはデータの集積。脳はそれ自体が一つであり、個々はその全体に向かい機能している。コンピュータはただの一つ一つのデータの集積であり、一つとしての意味は持たない。

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個人があって社会が生まれたのではない。情報が並列化される社会という基盤があってこそ個性は生まれる。日本に個性がないとすれば、それは社会がないからだろう。

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弱肉強食は現実の認識であり、人間が目指すべき理念ではない。人類が人類たりえるのは人類という理念があるからであり、その理念なくしては人類は獣にすぎない。

  • 概念として成立可能か
  • 現実世界での想定が可能か
  • 今の現実から実現可能か
  • 現状認識
これらを分けて考える必要がある。愚かなやつは、それが分からない。
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全ての必要なことに日付を。また仕舞う時には番号を振れ。時間という場所という、人が最も想起しやすい手掛りを与えてくれる。

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意識は科学で解明できない。意識は虚構であり物語であり、事実ではないのだから。科学は再現性に支えらえるが、再現性のある意識などは悪い冗談だ。神が妄想であるように、意識も、自己も妄想であり物語に過ぎない。

ただし技術が意識を制御できるようにはなるだろう。そうした時に、私たちはいまの私たちではない。技術万歳! 人類そのものも技術が支配してしまえ! 人類が技術を生むのではない。どうしてそんなことがありえよう? 技術が人類を生むのだ。技術というロジックが我々を未来へと運ぶのだ。産業の技術が、医療の技術が、資本の技術が、金融の技術が、ありとあらゆる技術が、我々を未来へと運んでゆく。我々とは何の関係もなしに。技術に運ばれる我々は、いつかナイーヴな我々を嗤うだろう。今の私達が過去の人々をナイーヴだと嗤うように。

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ねじまき鳥読了。傑作。カフカ、ドストへの意志を感じる。特有の比喩や登場人物の表現などが無ければ更に良かった。夢と現実、想像、呪い、預言、性などの坩堝。執拗に物語が練り込まれ、重ねられる。春樹が描けなかったところに魅力がある。淡白な主人公=語り手、目をひくが無内容な比喩、無駄な権力や財力というストーリーは無駄なだけ。その向こうにある彼の力、意志を考えざるをえない。恐らく春樹は翻訳されたときに真価を発揮するのだろう。彼の日本語は余計なものだ。翻訳により彼の日本語が脱落して春樹は完成すると思える。彼は確かに何かに近付き、描いた。その道具は誤ったものだったが描けた。仄かにだが彼の居る日本に安堵感のような淡い誇りを感じかけてしまうほどだったが、逆に春樹が日本には物理的にも文化的にも属さぬことに深い絶望も感じる。

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真実とは現実に対して物語られる一つの解釈であり、現実に対する解釈として語られる物語である。

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以前にも じじいのぼやき(2)じじいのぼやき としてぼやきをブログに写したことがあった。何事も続かないな、俺。