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東博にて「秋冬山水図」を見る。当初予想していた印象とは、全く異なる印象を与えてくれた。それは荒々しく、凄まじい ―― 更に言えば怒りに満ちたと言ってもいい――山水の景色であった。こうした印象について、いつものように妄想を書くことにする。
最初は静かな印象だった。
国宝室には静かに二つの掛け軸が掛かっているだけだった。その掛け軸に小さく張り付いている小さな山水画。これが本日のお目当ての雪舟「秋冬山水図」である。先日の等伯や応挙の屏風のような物理的大きさによる迫力はなかった。
私は即座に近くに寄った。いや、近寄りすぎた。そして、大胆な構図、力強さと繊細さを兼ね備えた線を私は確認し、なにかそこで「なるほど」と納得をしてしまった。「確かにすばらしい。が、ちょっと過大な期待をしていたかもしれないな」と。
だが違和感は残った。私は少し距離をとる。すると冬景図の方が一瞬にして完全に三次元的奥行きを持った景色として目に飛び込む。いや、もちろん三次元的に見えるなどというのは、ある程度の絵であれば当然も当然のことである。しかし、その三次元に感じる感覚や印象が通常とは異なるのである。通常の三次元に見えるのはあくまで遠近法的な処理に基づき、絵のレヴェルで奥行きを感じる。しかし、「秋冬山水図」では、絵のレヴェルではなく、その紙のレヴェルで完全に浮き上がって見えるのである。奥行きを「描く」のではなく、奥行きを「錯覚させる」絵なのである。
極度に強調された断崖の輪郭線が印象深い
雪舟「秋冬山水図」(冬景図)
(東京国立博物館 蔵)
再度近寄り、奥行きを見せてしまうその訳を考える。一つには強調された輪郭線。その過剰とも言えるほどに力強い筆線。そしてもう一つは視線誘導する確固とした構図である。その構図に基づいて、ぼやかすところ、強調するところがはっきりと分けられている。
しかし、強い奥行きに気がついてから、私はこの絵の孕むなにかに気をとられる。もう一度はなれ、雪舟の見せる景色を想う。見方としては、当然に若干の距離を取り、冬景はやや左から見て、秋景は右側からやや屈んで少し見上げるようにしてみると良かった。
何が私をひきつけたのか。それは、この景色、恐ろしいのである。凄い、凄まじいのである。冬の景色は、生命を奪いつくすかのように雪が大地を貪り、吹雪が生ける者を追いかけている。また、秋は秋で死体がごろりごろりと転がっているような景色である。その岩の表情、その山の表情――全ては生きている、それも肉食獣の如き猛々しさで息づいている。暮らしの中で、自然はこうも容赦なく襲い掛かってくるものか。
この絵は若いときのものか。私はそう感じた。この気迫、勢いと厳しさは尋常ではない。しかし、この細部を捨て、自らのできることにのみ力を注ぐことは、逆に円熟を経てからでなければできるはずがないことにも気づく。なにせその筆線のみにより獣のような岩を描くのである。しかし、この怒りともとれる凄さは、どう湧いてくるものか。
雪舟「秋冬山水図」(秋景図)
(東京国立博物館 蔵)
そこでふと思いついた。応仁の乱と関係があるのではなかろうかと。雪舟は五十目前の頃、明に渡る。それは十年に渡る応仁の乱が勃発した直後であり、明で名声を博した雪舟が二年後に戻るも戦乱の都には上れなかった。時代はそのまま戦国の世へと向かった。雪舟が戦火をどう感じたかは分からない。ただ放浪の画家である雪舟の描く景色が凄まじいのは、応仁の乱から戦国時代へと向かう時代背景があってのことのような気がした。雪舟が秋冬山水図を描いたのは、こうした明から帰国し、己の技術にも十分に自信を持ち、かつ、怒りのようなものを持てた時代ではないかと思った。まあ、安易もいいとこだが。
また、彼の絵は禅とは何かを考えさせる。そもそも禅画とは何なのだろうか。宗教画とは何か。そういったことを考えてみたくなった。