2008-03-11

ノートの取り方(6) 問題集にして「暗記」よりも「想起」に着眼

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今回は「学習」が話の中心。「暗記」ではなく、「予測」「想起」をしながら読むノートにしようという話。簡単な小技でノートは問題集になる。

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テストを受けることが一番効率的な学び方だという記事を見つけた(The Swingy Brain: 効率的な学び方)。「最近サイエンスに掲載された論文によると、同じことを反復して学ぶより、思い出す方を重視した方が良いらしい」とのことである。

「暗記」の努力をするよりも「想起」の努力をすべきと私も考えている。一般に「習得」するべく努力することを「暗記する」とか「憶える」という。こうした言葉が与える印象は、何かをそのまま頭の中に「書き込む」という印象である。これは誤りだと私は思う。人は頭に書き込むことはできない。だから「憶えよう」としたところで記憶されない。「思い出そう」とする努力が「記憶」を成立させる。脳内に想起の回路を作ることが記憶のための努力であり、それは「暗記」の訓練ではなく「想起」の訓練である。

暗記ではなく想起して効率的に学習するために、ノートは問題集に進化する。想起のためには最初に答が見えては行けない。答を想起するために間が必要である。

「答」が書いてあるノートを問題集にするためには、digi-log: ノートの取り方(1)にも書いたコーネル大学式のように余白にその答を想起する「質問」を書けばいい。これが簡単でよいと思う。「質問」じゃなくてもキーワードや見出しから内容を想起する訓練ができればいいと思う(あるいは、私流ノートの取り方 - finalventの日記のように穴埋問題集を作るのもいいと思う)。

質問を作るのに身構える必要はない。ある用語の説明があった場合「○○とは?」とでも書いておけばよい。そして、その質問を見たら説明文を頭に思い浮かべるということになる。

ノートを開くときには読むのではなく答を予想してゆく。これは次回の話とかぶるので詳細はそちらにまわすが、読むという行為は漫然と文字を追ってはいけない。常に自分の主体的な「ヨミ」(予測)があり、ページを繰る中で、そのヨミが当たったり、裏切られてゆくような行為でなければならないと思う。受身では得られるところは少ない。

ノートは問題集となり、予測や想起をしながら読むことになる。ノートでは一定の流れがあるので、その流れ自体を憶えることに挑んでもよいと思う。そして何が書いてあったかを思い出せる限り白い紙に書き出してみて、どこが想起できなかったのかを点検するのである。

一方で問題は固定されるので、多角的な視点を追加することも努力したほうがよい。ただし、それは難しいので、他の問題集を利用する必要もあると思う。ある知識は多角的に問うことが可能であり、そのこと自体が記憶を定着させると思う。