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2008-03-11

ノートの取り方(6) 問題集にして「暗記」よりも「想起」に着眼

今回は「学習」が話の中心。「暗記」ではなく、「予測」「想起」をしながら読むノートにしようという話。簡単な小技でノートは問題集になる。

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テストを受けることが一番効率的な学び方だという記事を見つけた(The Swingy Brain: 効率的な学び方)。「最近サイエンスに掲載された論文によると、同じことを反復して学ぶより、思い出す方を重視した方が良いらしい」とのことである。

「暗記」の努力をするよりも「想起」の努力をすべきと私も考えている。一般に「習得」するべく努力することを「暗記する」とか「憶える」という。こうした言葉が与える印象は、何かをそのまま頭の中に「書き込む」という印象である。これは誤りだと私は思う。人は頭に書き込むことはできない。だから「憶えよう」としたところで記憶されない。「思い出そう」とする努力が「記憶」を成立させる。脳内に想起の回路を作ることが記憶のための努力であり、それは「暗記」の訓練ではなく「想起」の訓練である。

暗記ではなく想起して効率的に学習するために、ノートは問題集に進化する。想起のためには最初に答が見えては行けない。答を想起するために間が必要である。

「答」が書いてあるノートを問題集にするためには、digi-log: ノートの取り方(1)にも書いたコーネル大学式のように余白にその答を想起する「質問」を書けばいい。これが簡単でよいと思う。「質問」じゃなくてもキーワードや見出しから内容を想起する訓練ができればいいと思う(あるいは、私流ノートの取り方 - finalventの日記のように穴埋問題集を作るのもいいと思う)。

質問を作るのに身構える必要はない。ある用語の説明があった場合「○○とは?」とでも書いておけばよい。そして、その質問を見たら説明文を頭に思い浮かべるということになる。

ノートを開くときには読むのではなく答を予想してゆく。これは次回の話とかぶるので詳細はそちらにまわすが、読むという行為は漫然と文字を追ってはいけない。常に自分の主体的な「ヨミ」(予測)があり、ページを繰る中で、そのヨミが当たったり、裏切られてゆくような行為でなければならないと思う。受身では得られるところは少ない。

ノートは問題集となり、予測や想起をしながら読むことになる。ノートでは一定の流れがあるので、その流れ自体を憶えることに挑んでもよいと思う。そして何が書いてあったかを思い出せる限り白い紙に書き出してみて、どこが想起できなかったのかを点検するのである。

一方で問題は固定されるので、多角的な視点を追加することも努力したほうがよい。ただし、それは難しいので、他の問題集を利用する必要もあると思う。ある知識は多角的に問うことが可能であり、そのこと自体が記憶を定着させると思う。

2008-03-02

ノートの取り方(5) 常に追記する

痕跡を残す習慣の利点はすぐには気がつかない。しかし、数年たってから、読んだはずだがまったく記憶にない本を開く時に、あるいは、自分が書いたのに何の記憶もない文書やコードを読むときに、はじめてその利点を知ることができる。その小さな痕跡が、自分の記憶を呼びさましてくれる。

一言のメモでも一本の線ですら有益だ。それを手掛かりにしてその時の記憶を手繰ることができることがある。

一番有益なのは、感情の記録だ。どんな要約よりも、その時に自分が何を感じたかが重要だ。その時の気分を手掛りにして、様々なことを思い出せる。同じくらい重要なのは日付だ。その日付をたよりにして、日記などを開いて、当時の状況を思い出せる。そうすれば、その情報のリアルな記憶を呼び覚ましやすい。自分の人生というインデックスほど有効なアイコンはない。

痕跡を残すのは習慣にしたほうがいい。人間は何でも忘れてしまう。本当に大切なことをいとも簡単に忘れてしまう。ふと気が付くと、自分が何をするつもりでそこにいるのか、その何年という時間を注ぎこんでいたのかすら、あっさりと忘れてしまう。何かの痕跡なしには、何も保つことが出来ない。だから、私たちは痕跡を残し続ける。

辞書を開いたら探した単語に線を引く、本を開けば自分に意味のあった文に線を引く。思いついたらコメントを残す。ノートを開いたら、読んだところにコメントしたり、線を引く。そして、そうした全ての重要なことに日付を残す。

関連した情報があるのなら、他の情報源からの情報も加える。勉強が進んだら、内容の要約やまとめ、他の事項との関連なども書く。チャートなどを作成するのもよいだろう。紙が足らなければテープで貼ればいい。本から切り取って貼るのもよい。できる限り、情報は一箇所にまとめるのが鉄則だ。

重要なことは、自分が「情報」という抽象的なことを「処理」しているのだとは思わないこと。そんな「処理」できる情報なんて大切じゃない。それと戯れるなかで、自分の人生が変わってしまうようなものが本物の情報だ。だから 現実の「物」に自分の「痕跡」を残しているというリアルな実感を大切にすること。それが現実の空間の中で、自分の人生の中で行われているという実感を大切にすることだ。そうして作った情報はきっと自分を支える力になる。

関連エントリ

ノートの取り方(2) 8つのルール

2008-02-29

ノートの取り方(4) ページ番号をふり、日付を入れる

ノートの取り方(2) 8つのルールについて、一つずつ書いている。今回は「ページ番号をふり、日付を入れる」ことについて。「タイトルを入れること」にも言及。

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ページ番号をふる理由の一つは、相互参照するためだ。あるアイディアについて「これはp.3参照」などと書いておくことができる。完全に複数のページにまたがっているが一つの方向性を持ったアイディアなら、切り取ってクリアホルダに放り込むが、それ以前のゆるい結合の時にはページ番号で参照させるというのはやりやすい。

加えて言えば、個別のページ同士のリンクだけではなく、私はノートの先頭にTODOリストを作り、最後には目次を作っているので、それらを個別のページにリンクさせてもいる。

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次に日付を入れないと、いつ書いたのか分からなくなってしまう。数年前のノートを見て、それがいつ書いたのか分からないととても残念な気分になる。思いついたアイディアは何よりの日記となる。コメントを書いた日までできる限り日付を入れたほうがいい。

そのときに自分が何をしていたのかも、アイディアに影響を与える。だから、日付での参照をするためにも日付を入れる必要がある。

なんにしても人間というのは並んでいないと整理された気分にならずにすっきりしないが、逆にいえば並んでさえいれば整理された気分になりすっきりとする。日付の分からないノートを並べておくのは気分が悪いが、それが日付の順番になっていると分かれば幾分すっきりとする。

日付を書くのが面倒ならスタンプを準備しておくという手もある。もちろん毎日日付を変えるのが面倒だけど。しかし、コンパクトに日付を記せるし、色が違って目立つのでお勧めではある。

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最後に「タイトルを入れること」も重要だ。できれば、上の目立つところにそのページが述べていることをすっきりと一行でまとめておくと、後から参照するときに役に立つ。目次を作るときにも役に立つ。

これも人間不思議なもので、名前を付けるとそのものを把握した気分になる。雑多に書かれたメモであれ、それにタイトルをつけると「ああ、あのメモだ」という気分になり、記憶に残って有益な情報源になりやすい。逆に名前を付けないとただの雑多な思いつきで終わってしまうことが多い。

更にタイトルをつける習慣は、情報を要約するいい練習にもなる。あるアイディアに対し、短く、的確で、記憶に残る名前を付けることは難しい。そうした名づけに無意識であると一向にその能力は発達しない。だから、普通はコンセプトを考えたりすることは苦手だし、メールの件名をつけることも苦手だ。自分のノートなら気兼ねなく名づけができる。こうした小さな練習が、企画を出すときにも役に立つと思う。

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以上、ノートにはページ番号をふって、日付を入れ、タイトルを付けることの重要性を書いてみた。明日は「常に追記する」ことについて書いてみたい。

2008-02-28

ノートの取り方(3) 余白を取る

ノートの取り方(2) 8つのルールについて、一つずつ書いてみる。今回は「余白」について。

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ノート術やノート作成法などを読むと必ず余白を十分に取るように書かれている。これは後からの書き込みをするために必要不可欠だからだ。

一般にノートは「書いたら終わり」という人が多い気がする。そうじゃない。ノートは書いた後が勝負だ。一度書いただけで記憶に残るのなら、ノートなんて書く必要がない。僕たちは何かをしたいから、そしてその何かが成し遂げられていないから、ノートに何かを書くのだろう。

ノートが作られる瞬間は不完全な場合が多い。ノートには勢いで書く。だから、後から読んだら意味が通じなかったり表現が適切でなかったりする。それでいい。最初から完璧に書こうとすると上手くいかない。自由に書くから、アイディアや知識が湧きやすい。

余白なしで文書を書いてしまうと、そうした不完全な文書を直すスペースが無い。場合によっては書き直したり、まとめたりしたくなるだろう。そのスペースが必要だ。別の紙に書いてしまったら、最初の勢いのある文字は葬られてしまう。最初の勢いと、しっかりと意味の通じる図や文を共存させることができない。

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余白が必要なのは、修正やまとめのためだけではない。余白がないと追記やコメントができない。一つの項目について重層的にアイディアを重ねることができない。

人間は情報が豊富なときに記憶ができると僕は考えている。情報の網の目が広いほうが想起しやすい。自分の経験に基づいたアイディアや知識の方が様々な連想を広げてくれるので、身体化しやすい。

実は重要なのは結論ではない。「あの時に思ったことだ」「あの人の言葉だったから」「あの場所で感じたことだ」……。そういうことが、僕たちの思念をコントロールする。芸術的な文藝を除けば、一般に文字の情報は些細なもので、現実の体験の情報量には到底かなわない。だから、少しでも情報量は多く残しておいて、連想の網の目を広くしておいたほうが想起しやすい。

手書きのノートはこの点において強みがある。最初に書かれた状況や勢いが記録されやすい。その筆跡が、その汚れが、僕たちの思い出の回路に繋がってゆく。次回にも書くことだが、だから日付や場所などを併記する必要もここにある。連想の網の目を広げられること、自分の体験との密接な関連を残せることに手書きの強みがある。

余白を残すことで、一つの空間に重層的に情報を蓄積できる。書き込まれたそのときの状況も、そこに重なってゆく。その折々の自分の思念が一つのアイディアに織り込まれてゆく。知識やアイディアが身体化してゆく。

思いを重ねるために余白はなくてはならない。

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僕はノートの片面しか使っていない。見開きの右側しか使っていない。「もったいない」と言われるかもしれない。でも、一つの見開きには一つの項目しかないほうが、僕にはストレスが少ない。あることを考えているのに、他のものが目に入ってしまうと気が散ってしまう。

右側しか使わない理由はもう一つある。破り取るためだ。あるテーマについて複数ページに渡っていると書きにくくて仕方がない。そういう時は破って並べてしまう。もし、裏面に何か書いてあったら破ることができなくなる。もちろんコピーすればいいのかもしれないが、破る方が早い。

文を一行おきに書く人もいるが、僕は一つの段落は行をあけずに書いて、段落ごとに二行ほど余白を取るようにしている。一般的なウェブサイトの表示に似ている。段落を把握しやすいことを僕は好む。

僕は一行を短く抑えて、右に余白を取るようにしている。ここがコメントや追記を書くスペースだ。左右に小さな段落が並ぶことになる。いくつかの段落は囲まれて、矢印が引かれたりもする。見た目は、文とチャートの中間になる。四色ゲルインクのボールペンを使っているので色もつけている。

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余白とは関係ないけど、使っているノートのタイプもメモしておく。僕が使っているのは、厚めのA5かB5のリングノート。A4は僕には大きすぎた。まあ、慣れの問題だろうけど。更にポケットに入るメモ帳として100円ショップで買ったB7の方眼罫も利用している。これは本当に一時的なメモ用。

僕は右側にしか書かないので、折り返して使えるリングノートを好んでいる。電車内やカフェで開くには見開きはストレスがある。折り返せるノートなら気にならずに集中できる。通常のノートだと、折り返すと真中が膨らんで書きにくい。それに机の上に開いたままにしておく際にも省スペースだ。

そうそう。以前、モレスキンを折り返して使っていたら壊れてしまった。あれは別に頑丈ではないと思う。

そうしたノートの先頭の見開きはTODOを書くスペースとして空けていて、最後のページは目次にしている。表紙には、通し番号と使った日付を書いている。タイトルがないのもあれなので「雑記帳」と書いている。あまりいいネーミングじゃないけど。

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以上、余白について思うところを書いた。まとめると、余白は以下の理由で必要だということ。

  • 余白は自由に書いた文書を後から読めるように修正するため
  • 重層的にアイディアを重ねるべく追記のため

そして僕の使用法には以下の特徴があることを述べた。

  • 見開きの右側にしか書かない
  • 一行を短くして余白を右側に取っている

次回はページ番号をふり、日付入れることについて書いてみる。

2007-07-28

ノートの取り方(2) 8つのルール

ノート術をまとめてみた。主に大学生や高校生などの学生の授業ノート作成法を想定して書いているが、サブノートやアイデア帳、会議でのメモなどにも有効だと思う。

  1. ノートに余白を残す ノートは書いて終わりじゃない。後で書き込むための余白を確保しなければならない。詳細
  2. ページ番号をふり、日付入れる まずノートにはページ番号を入れる。さもないと他のページからリンクさせることができなくなってしまう。次に書いた時には日付を入れること。追記の場合にもその日付を入れる習慣を持つと役に立つ。日記などとリンクできるようになるので追跡が楽になる。手で日付を書くのは面倒なので、日付スタンプを利用すると良い。手書きよりコンパクトだし、赤字で押せば目立つ。詳細
  3. 常に追記する 授業中に書き込んだ情報を忘れる前に補う。また他の情報源からの情報も加える。勉強が進んだら、内容の要約やまとめ、他の事項との関連なども書くとよい。チャートなどを作成するのもよいだろう。詳細
  4. 問題集にする ノートの内容が答えとなるような問いを考え出して、余白に書きこむ。いかにも問題を作るのが上手くなると、先生の気持ちが分かるということなので試験の結果が向上する。この辺はコーネル大学式ノート作成法[1]やfinalvent[2]さんを参考にして欲しい。詳細
  5. 何度もめくる 問いだけが見えるように本文を隠し、問題を解くことで記憶の定着を図る。あるいは全体を眺めて映像的に記憶する。大学ノートは30枚の紙なのでパラパラめくるのに時間はかからない。パラパラ眺めるだけでも、何回かやっていれば不思議と頭に残ってくる。
  6. 目に触れる場所に置く 何度も開けるように手近な所に並べる。ノートを見ているだけで無意識に内容が記憶に定着することを狙う。私の周囲では、机の上に「積読」したり、本棚に並べるだけで内容が頭に入ってくるようだと、多くの人が述べているし、そう述べている本も何度か読んだ。試して欲しい。
  7. 三冊程度をまとめ、背表紙に題名を書く 30枚の紙の束でしかない大学ノートは薄すぎて背表紙を作れないので、同じテーマについてのノートが三冊くらいになったら表紙を取り、ノリでくっつけた上で、製本テープを背表紙に貼る。背表紙が厚くなり、文字を書けるようになるのでタイトルを書いておく。背表紙ができると書籍のようで見栄えもするし、管理も楽になる。
  8. 一生付きあう 人が取るノートの種類は、授業ノートから業務日誌、雑記帳など多岐に渡る。こうしたノートをきちんと本棚に並べておけば、人生の縮図のようになる。特に日記、帳簿、アイディア帳はしっかり管理したい。過去にアクセスするのが簡単になり、自分の過去という資源を効率的にいかせるし、雑多な過去の記憶をする負担が無くなるので、脳のストレスが減るように思う。自分のノートを並べる場所を確保して一生付き合ってもらいたい。

なりよりもノートの技術は、そのまま学習のためのメソッドの柱となる。効果は非常に大きいと思うので、一度しっかりと考えてみるとよいと思う。

ref

[1]ノートの取り方(1)に記述あり。
[2]finalvent の日記 - 私流 ノート の取り方参照。
[3] シンプルに暮らす(3) 「整理」のための6つのルール
[4]3時間でレポートを作成する方法
[5]問題解決の技術

2007-07-20

finalventの日記 - 私流ノートの取り方

finalventの日記 - 私流ノートの取り方 解答としてのノートを作ってから、問題集を作成する。問題集はベタに穴埋め式。
ようするに問題オリエンティッドに知識を再編成する=お勉強だったりするわけですよ。
とのこと。 以前にノート の取り方にてコーネル大学式のノートの取り方とかもメモしたけど、結構、問題集を作成するってのはお勉強には有効なんだろう。というのは、目標が問題を解くことなんだから、それに特化した勉強法、ノート作成法が有益だろう。目標がボケると成果もボケるものだ。

2007-04-21

ノートの取り方(1)

ノートの取り方については ノートの取り方(2) 8つのルール にて、もっとコンパクトに書いたのでよろしければご参照下さい。

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冒頭から他サイトからの孫引きで恐縮だが、アランは『教育論』において

何度も読むこと、暗誦すること、さらにいいのは、ゆっくりと、版画家の慎重さで書くこと、立派なノートに、美しい余白をとって文字を書くこと、充実した、均衡のとれた美しい文例を筆写すること、これこそ、思想のための巣をつくる優れた、柔軟体操である。
と語ったらしい(林明夫, 「ノート」の作り方を考える──役に立つノート作りの基礎知識. 開倫塾)。現代の若者の一番の贅沢は、こうしたノート作りと言えると思う。紙もインクも安いものであり、若者が本当に充実した一生保存するに値する美しいノートを作成するのを妨げるものは何もないだろう。

ノートは実用的

そして、そうしたノートは贅沢なだけでなく、有益であり、受験などというセセコマシイ目的に対しても効率的だと私は思う。

もちろん受験に学校の授業ノートを使うという発想は、私の学生時代にはあまり一般的ではなかった。せいぜい中間や期末テストの時に利用する程度で、受験にそうしたノートを利用するなどという発想は誰も持っていなかったように思う。現在も同じだろう。

しかし、以前にも以下のように述べたように、日々の授業のノートを利用するのは、とても有益だと私は考えている。

日々の授業はとても大事であり、ノートは宝である。

一年生の時から三年生の時まで、きちんとノートを取っておいて、それを全部きちんと机に並べておけば(三年間のノートくらい並べられる大きさの机がなければ、親に泣きつくこと!)、無理して復習なぞしなくても、無意識に「ああ、このノートにはあんなこと書いてあったな」と脳味噌が勝手に復習してくれるのであり、これはとても重要な勉強法である。

そして気になったらたまにパラパラめくればよい。大学ノートは通常30枚の紙切れの集まりであり、パラパラやるのに時間はかからない。何回かやっていれば自然に頭に残っている筈だ。これで学校のテストも大学入試もほとんどいける筈だ。(digi-log: 知的生産の技術 / 梅棹忠夫 (1969))

一度コストを掛けて入力した情報を使い回すメリットを列挙してみると
  • 知識を生活の思い出が強力にサポート:くだらん記憶ほど想起を補助する。「確かあの時……」という人間の優れた時間的把握能力を利用
  • ノートに日々接することで身体化:「確かあそこの……」という人間の優れた空間的把握能力を利用
  • 教育費節約:塾も参考書もいらない
  • 繰り返し読むことで、一回の読み速度はどんどん向上する:自然速読。パラパラで十分
などが思い浮かぶ。

こうした効率を一度でも意識したら、ノートを書き捨てているのは勿体ないと思う。

いかに書くか - コーネル大学式ノート作成法を参考に

こうした勉強法には、それなりのノート作りの姿勢が必要になる。真に長い付き合いができるノートとは絶対に追記可能でなければならない。

ここでアメリカで最も広く使用されているらしい「コーネル式ノート・システム (The Cornell Note-Taking Sytem)」(あるいは、コーネル大学式ノート作成法)を参照しておこう(Brigham Young University, Learning Strategies - The Cornell Note-Taking System)。この方法はコーネル大学の Walter Pauk に開発されたもので、紙面を三分割して、授業後の追記に対し十分に備えた方法である。詳しくはリンク先を参照してもらうとして、その手順は以下の6段階からなる。

  1. Record 授業を記録
  2. Reduce(Question) 知識をキーワードや質問の形式に絞り込む
  3. Recite 質問や答だけを見て答を暗唱
  4. Reflect 内容を熟考
  5. Review 復習
  6. Recapitulate 要約
そして、それを以下のように分割したノートに書いてゆく。

2. 知識をキーワードや質問の形式に絞り込む
3.質問や答だけを見て答を暗唱
1.記録
4. 内容を熟考
5. 復習
6. 要約

これはノート法というより勉強の流れそのものと言えるかもしれない。

まず授業を記録してゆき、次に横の空間に、ノートの内容が答となるような見出しや質問を作成する。ノートに「ヨガとは心の作用の止滅である」と書いてあったら、例えば「ヨガとは?」って書いておく。

そして、本文のスペースを隠しておいて、見出しや質問だけを見て、そのノートの本文を唱える。つまり「ヨガとは?」という質問だけを見て、「あー、心の作用の止滅……だったよね」みたいに。こうして記憶を定着させる。

後は、本文を見て復習したり、その内容が何を意味するか、他の知識との関係はどうかを考え、調べた情報などを書き加えてゆく。そして知識が総合的に定着したら、要約を下のスペースに書いておく。

見て分かる通りに、1のrecord以外は授業の後の作業である。ノートは記録した後からが勝負なのである。以上の作業を続けてゆき、ノートとつきあう中で学習はおのずと定着してゆくのである。こうしたノート作りは、それ自体が完結した優れた学習システムであると言えよう。

ノートと長く付き合う

そして長年付き合ったノートは捨ててしまうのではなく一生取っておけたらよいと思う(私は捨てたが)。高校程度の知識は常識なので、案外思い出したい時がくるものである。ネットがあればいいという説もあるが、馴染んだノートを利用するというものいいと思う。また大学の授業も当然、キチンとノート作りしておいて一生使えるようにすると有益だと思う。

話はこうした「公式」なお勉強だけではない。

広く自分の日記や雑記、備忘録、読書録、アイディア帳なども管理できているとよいと思う。ただ一度書いて、あとは捨てるというのはもったいない。資源や時間は有効に利用していものだ。それに人間同じような問題を周期的に悩む傾向があるので、記録があると結構簡単に問題は解決に向かい、過去の経験をいかした進歩ができるものだ。

また、こうしたノート法は書物やテキストを利用した勉強にもそのまま応用できる。今度は書物を自分のノートと思い、変更を加えて付き合ってゆくのだ。サブノートを作るのなら、元の本を「ノート」にしてしまった方がよいと思う。書物への書き込みも、「いや、これはノートなんだ」と思って書くと身に付くものである。

ただし、そうした勉強のためにも、自分でノートを取るという基本のテクニックを身につけている必要があると思う。授業ノート作りやサブノート作りがしっかりできる能力がある上でないと、問い掛けや要約を作ることはできないだろう。そのためにも、早いうちにメモ程度のノート作りの段階は脱却して欲しい。

大学ノートに一つの主題を語ること

最後に、もし君が高校生なら、長い長い文を一冊の大学ノートに書くことをお勧めしておきたい。日記のような雑多な文の集合ではなく、ある一つのテーマについて思ったことを、一冊の大学ノートに綿々と書き連ねてゆくのだ。若い内なら書けば書くほど書くことが湧いてくると思う。誰に読ませるものじゃない。恐れ知らずに、論理も説得力もなく、ただただノートに書いてみるといいと思う。この時、ルーズリーフとか原稿用紙では駄目だ。勿論、鉛筆じゃ駄目だ。ボールペンか万年筆で、いかなる「編集」も許さない状態で、綴じた大学ノートにびっしりと書くことである。

私は高校時代から大学の夏休み前にかけて(夏休みにPCを購入しそういう営みは絶えた)こうしたことをよくしていた。B5のノートの表紙に例えば「美について」と書き、アウトラインも構成も何もなく、ただただ書いていった。前日に書いた所を次の日に目を通し、再び書き継いでいった。ただ連想というか内部の思索的な声にのみ従うのである。

何日かするとノートは書物のような雰囲気を出してくる。というのは、ある分量を過ぎるとパっと眺めて全体が把握できなくなるのだ。自分の書いている、自分の思索であるのに、自分で把握できなくなった瞬間に、ノートが書物に化けるのである。構成も何もないから論旨は滅茶苦茶で入り組んでいるから「把握」ができないのは仕方ないにしても、たかだか自分で考えていることの全体が把握できなくなるのは何とも不思議な体験であった。

こうした営みは無駄に思えるかもしれない。事実、PCを購入した18の私は、PCの編集能力の高さにひきつけられ、大学ノートを捨てた。大学ノートに書きつけられた無数の言葉はあまりに再利用しずらかったからだ。端的に「非効率」と当時の私は感じた。次第に大学ノートは私の視界に入らぬようになり、最低限の日記くらいは保存しておいたが、高校時代からの「音楽」「文学」「哲学」などに関する大学ノートのほとんどは紛失してしまった(日記的文書も3、4割は紛失したと思う。授業のノートも捨てた。また、高校時代に原稿用紙やルーズリーフ、破ったノートなど「紙片」に書いた文書は例外なく紛失した。綴じないと紛失するものである)。

しかしながら、いま思えば、ああした編集性のない、ただただ、ひたすら言葉を紡いでゆく作業というのは、なんと言うか、美しかったような気がしている。変な文だがそう感じる。大学ノート一冊に、十代の熱意のままに美や善を語り抜いた大学ノートは、今となればどんな書物よりも手にとりたい書物である。

もし、君が高校生ならPCなんてスケベな道具は使わずに、良質なボールペンあるいは万年筆と、良質なノートを買って来て、編集性のない環境でひたすら目的もなく、ただ一つのテーマについて語り抜いてみるとよいと思う。そしてそうしたノートを大切に保存し、たまにパラパラとめくり、書き込みをしてゆくとよいと思う。そういう能力や感性が、とても大切だと思うし、そうした行為は若い内しかできないものだ。

保存について

高校生のための読書法(2) 本の読み方と題する文書で以下のように書いたので参考にされたい。

書式とか、そういう小細工を教えるのは嫌だが、一つだけ教えたいことがある。それは三冊を一冊にまとめた方がよいということだ。大学ノートが三冊くらいになったら表紙を破り捨て(いや、綺麗に取ってもいい)、ノリで三冊をくっつけて、ホームセンターで買って来た製本テープを背表紙に貼るとよい。大学ノート一冊では薄過ぎるので紛失の可能性があるからだ。是非、やっておいた方がよい。俺は何冊ものアホなノートがどっかに行ってしまい、いつか家族に発見されるのではないかとヒヤヒヤしている。そんな不安は君たちにさせたくない。
事実、30枚の紙の束でしかない大学ノートは薄すぎて背表紙を作れないので、三冊程度をまとめて製本テープを貼って背表紙を作り、タイトルを書いておいた方が見栄えもするし、管理も楽である。ノートのくせに書籍のような雰囲気を出すので気分もよいはずだ。