2007-02-05

「食うこと」の想い出

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俺は食い物の前で嬉しそうにしているイラストに弱い。

以前もドイツ語の教科書のイラストで、太ったドイツのおっさんがハンバーガー(サンドイッチ?)を両手で持って、ニコニコしているのを見て、なんというか泣きたいような、そんな気分になった。

こういう気分、分かるかなあ。

ま、別に分かんなくてオーケーなんだけど、いろいろ理由があると思うんでちとつっこむ。

以前も書いたように、俺はちと飯を分析的に食うところがある、というかあった(過去形のハズ)。それに俺は人の目とか、そういうのも気にする奴だった(過去形のハズ)。

んなもんだから、安そうなもの、粗雑そうなものを食って嬉しそうにするというのが、どうも気恥ずかしい、ということだった(過去形の……)。

なんていうかな。

例えばだよ? そのハンバーガー食ってめっちゃ嬉しそうなおっさんに、誰かが「あら、そんなもので、あなたの舌は満足なの?」とか言われると、なんだかさ、なんだかじゃん?

更に「ほら、こちらのお料理の方が上品ですことよ」とか言われてさ、そいでそっち食ったら、そりゃ確かにそっちの方がうまかったりしてね。

んで「ほうら。あなたの味覚と言いますか、食文化と言いますか……」とか言われちゃったりするとさ、なんかさ、あちゃーって感じじゃん?

そういうこと、なんか考えちゃうんだよね。


あるいはこうも考えられる。

欲望をむきだしの顔を見ると、その欲望が叶えられない時のことが可哀そうに見えるのかもしれない。

食事の喜びは直接的だ。だからこそ、それが奪われると直接的に哀しいし、怒りにもなりやすい。

「うまそうだなー」と思ってパクっと言ってめっちゃまずかったり、それを人にブン取られたりして「うおー!」ってなるのを見てしまって、なんだかな、という気分になるのかもしれない。

そんなことを感じているから、俺は小さいときから欲望を直接むきだしにすることはなかった(過去形のハズ)。


なんかそんなこと書くと思い出すことがある。

中学校の頃だった。弁当を食っていると、前にいた女の子が「お弁当、おいしくないの?」と俺に訊いたことがあった。なんかさ、あわれんだような声でね。

俺、おどろいたよ。自分がそんなにまずそうに飯を食ってたなんて。

でもね? 俺ね、その前までは「いつも、なんでも、うまそうに食べるねぇ」とかって親戚に言われてたんよ?

で、実際に珍味だろうが、ゲテモンだろうが、失敗した料理だろうが何だろうが方っぱしから食うわけよ。んなもんだから「残飯処理」とか言われたりしたし、俺はなんでも食うって妹と父親にはバカにされたりしてね。

ほら、でも、それって結局パフォーマンスだったりして、何も考えてないと、ホントまずそーに食ってたんじゃないかな、俺。んで、そういうの改めようって中学の時にも思ったりした。


ふー。なんていうんだろうな。

俺はじいちゃんっこでさ、両親に育てられたって言うよりかは、祖父にそだてられたんだよね。んで、そのじいちゃんってのが、まあ、食い道楽っていうか、まあグルメっぽかったりしたわけ。

俺は蕎麦とか鰻とか寿司とか天麩羅とかカツレツとかステーキとか、小さい頃から食ってた。「じゃあ、今日は浅草の○○で天丼食うか。あそこの天麩羅は大きいよなー」とかね。近所の鰻屋とかじゃ常連で「○○のぼっちゃん」とか呼ばれたりしてた。はは。

んで当然じいちゃんは「おう、うまいか?」とか訊くわけで「うまいよ」って答えるわけ。まあ実際うまいわけだしさ。んで「こことあそこじゃどっちがうまい?」とか訊くわけよ。んで「そうだなー、あっちかな」とか答えてみたりしてたわけ。

まあ、恵まれまくってるわけなのかもしれない。

でも祖父の金はうちの親が出してるわけで、んで、その祖父が無駄遣いするってのは俺の両親は迷惑ってわけで、俺がうまいもん食うのを知るとさ、俺の両親は当然、俺に嫌ーな顔するんだよね。

でも、両親は気が弱いからさ、直接祖父には言えなかったりするわけ。はは。

俺はさ、飯食いながらさ、小さいころからさ「ああ、じいちゃん、もうちょい安いもん食べようよー」とか思ってたわけなんだよね。

実際好きな「食べ物は?」とか訊かれたら「おから」って小さい頃、答えてたと思う。それが安いってのを聞いてた(昔の人は口が悪いから「ありゃ、鳥のエサだ」とか言ってた)のも大きな理由の一つだったと思う。ま、実際、今でも好きだけどね。

ま、そんなこともあんのかもしれない。


俺の祖父は市議会議員とかやってて顔が広かった。だからどこでも先生、先生って呼ばれてエラそうに振る舞っていた。

そんな祖父は近所のヤクザと仲良しで、まあ、悪いもん同士なかよくやっていた。祖父は「先生」でヤクザは「親分」だった。俺もその親分には本当にずいぶんと可愛がられた。

二人はよくうまいもんを食いに出掛けた。二人は浅草の街を肩で風を切って闊歩した。俺は二人が楽しそうに「ワル」をするのを見ていた。

でも、正義感の強い俺は、うまいもんが食えても、おもちゃを貰えても、ワルは嫌いだった。


その親分は刺され、半身不随で歩くことも話すこともできなくなった。そして、ある冬の日の夕方、自宅の風呂場で自殺をした。

祖父は糖尿病が悪化して心臓が壊れてゆき、親戚にも実の息子にも見放され、老人ホームを転々とし、最後は恐ろしく殺風景な病院で死んだ。

俺は祖父も親分も好きだった。尊敬もしている。本当に本当だ。

でも、そういう死に方って、自業自得なんだろうな、と結局は思う。

死ぬ前に、俺は祖父の見舞いに行った。そして、その病院の殺風景さと祖父の惨状に驚いた。祖父は寝返りをうつのも激痛に苦しみ、口をまともに動かせるようになるのに10分はかかった。はは、マジで涙出たよ。

俺は「じいちゃん、何か食いたいか?」と訊いた。

祖父は「スシ」と答えた。

俺は近くの「とんでん」で寿司の折詰を買って来た。じいちゃんはまともに口を動かせないもんだから、俺が寿司を口にもって行ってもうまく食えなかった。結局3つか4つを食べはしたと思う。

食い終わると祖父は、うまいもんの話をした。近所の鰻屋や浅草の天丼の話もしたと思う。

食うことは壮絶だと俺は思った。そして悲劇と喜劇は紙一重だと。