2007-02-11

[書評] 進化しすぎた脳 / 池谷裕二

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本書は2004年、慶応義塾ニューヨーク学院高等部にて中高生に対して行われた四回の講義を起こしたものとのこと。内容は最先端の脳科学、大脳生理学。

まず本書に先立ち2004年に朝日出版社より刊行され、それが今回、ブルーバックスで刊行となったとのこと。今回の刊行に際し、索引3頁、参考文献5頁を追加し、更に著者の所属する東京大学大学院薬学系研究科・薬学作用楽教室のメンバーとの追加講義一回を収録。追加講義はスカとしても索引と参考文献の整備は評価できる(というか、脳や神経の知識を元にしてとはいえ、「意識」や「心」の話は実証研究への言及なしだと、ただの「科学者の与太話」になってしまうだろう。そういう本多いよね)。

できれば入門書との位置付けを意識して推薦図書のような参考文献も付けてもらうと更に良かったと思う。まあ、この辺は後述。

397ページもあるが、もとが中高生への講義であり語り口はきわめて平易なため、さらっと読める。なにせ4回の講義の内容なだけなのでちょっとした時間で読了できた。中高生とのやりとりもさらっとしているというか、中高生もそこそこ知識あるからそんなに意表をついた発言も出てこないというかなので、普通に池谷さんの話が流れてゆく。いい意味でも悪い意味でも想定内の反応しかない。

内容については315頁から320頁までの「今までの講義をまとめて見よう」の節を読めば一発だろう。ここを読んで見た上で、全体の語り口とかを見て買うか買わないかを決めるのが吉かな。


さて、問題の内容なんだが、その前に分厚い帯に書いてあることについて少々。

帯には以下のようにある。

『しびれるくらいに面白い!』

最新の脳科学の研究成果を紹介する追加講義を新たに収録!

メディアから絶賛の声が続々と!

『何度も感嘆の声を上げた。これほど深い専門的な内容を、これほど平易に説いた本は珍しい』――(朝日新聞、書評)

『高校生のストレートな質問とサポーティブな池谷氏の対話が、読者の頭にも快い知的な興奮をもたらす』――(毎日新聞、書評)

『講義らしい親しみやすい語り口はもちろん、興味をひく話題選びのうまさが光る』――(日本経済新聞、書評)

まあ、こういうのさらっと無視すりゃ良いんだろうけど、そういう性格でもないんで一言言う。まあ、全然私に限っては嘘っぱち」というか「全然そんなことないよ」と。

どちらかというと、脳なんて普通に考えて面白そうな分野を語った本でこの本程度でそんなに評価が高くなるのが不思議なくらい。

ただ、この本が良くないのかというとそうでもない。著者の考えには大筋でかなり共感するし、正直言えば「えらいなあ」とか思う。でも「しびれるくらいに面白い!」というのは私に限っての話だが、無い話ってだけ。「こういう過剰な物言いが全体のレベル下げんじゃねーの?」とか無駄なことすら言いたくなる。


講義は教科書風ではなく、著者の興味に沿って組み立てられていく(当初は生徒との創発を期待していたのだろうが、まあ、そうはならんよね)。目次の項目立ても十分に細かいし、上述の315頁から320頁までの「今までの講義をまとめて見よう」の節を読めば大体の内容把握はオーケーだろうからここで、全体のまとめは書かない。

その代わり、簡単に全体を通じて私なりに気になったポイントや知らなかったことをいくつか。

  • 脳と身体は相互に影響し合っている、身体の変化に合わせて脳も変化する
  • 私たちの認識する「世界」とは脳が作り上げている
  • 私たちの実感、覚醒感覚は言葉が作った。「心は咽頭がつくった」
  • 脳は部分の総合としてではなく、全体のネットワークとして機能する
  • 「脳の100ステップ問題」 脳の活動はたかだか100個程度のシナプスを通過するだけで行われている
  • 「バイオフィードバック」 本来感知することのできない生理学的な指標を科学的にとらえ、対象者に知覚できるようにフィードバックして体内状態を制御する技術、技法(wikipediaより)

ちなみに上記のポイントのうち、どれくらいが「科学的」に認められているのかきちんと私は確認していない。


ところで「この本を知り合い中高生に読ませたいか?」と訊かれれば答えは「ノー」。

「その理由は?」と訊かれたなら「本書は心や意識など、客観的に存在が確認できない事物を扱っているから」と答える。つまるところ「それは科学的じゃない」から。

科学が再現性のある事物における相関関係以外は示せないというのは著者も認めているとおり。つまり、まず、心や意識は一瞬一瞬で変化し続け、二度と同じ状態は現れないだろうから再現性がない。また、実験によって何か有意味な関係を示せたとしても、それは因果関係を示したことにならず、ただ、相関関係を示したことにしかならない。繰り返すがこれは著者の主張でもある。

そこからもう一歩進んで私は脳科学による精神の「説明」に対し警鐘をならしたい(本気にしないように)。

物理学が産業に貢献したように、脳科学が医療の技術として利用するならば確かに相関関係でも十分だろう。重力という概念は物質の働きの内に理解されるだけで十分であり、その本質が何かという問いは(一部の科学者などを除いて一般には)興味のある話ではない。つまり、重力というものが何であれ、その概念を用いて運動の予測ができればいいのだ。説明などは予測のおまけ程度とも言える。

しかし、心は重力などと異なり「それが何なのか」が問われている。確かに一定のインプットを与えた後でどのような変化が起こるかを予測できるというのも興味があるが、それが「はい、ここの電極に電流ながすと不安になるでしょ? そういうもんです」とか言われても「それは私の知りたい『心』じゃない」と言いたい。どういう入力をしたら、どういう反応になるかという問題ではなく「心そのものが何なのか」を私は知りたいのだ。そして、そうした説明のために人の文学的な営みはあったし、今もありつづけている(心とは何かを考えているのは宗教や哲学だけじゃないだろう)。

明らかに現在の科学による脳の理解は未熟であり、その未熟な知識に基づいた説明も未熟に過ぎない。現に科学は意識の定義もできていないし、そうしたものを科学的に検証できるだけの実験方法すら見出していない。

それなのに、現に脳科学者は意識や心を「説明」している。そこが私には不思議でたまらない。科学の研究というのは厳密に論理的な作業だろう。どうして、そういう作業をしている人が、いざ意識などを語るとこうもはじけてしまうのだろう?日々の厳密さの裏返しだろうか?そこにおいて、説明は「科学」ではなく「文学」になっている。悪く言えば「ぼやき」である。

しかし、こうした本を読む人はそれを「文学」とは捉えないだろう。科学者が言うんだから科学的と思うはずだ。そして、悪いことに、科学的というのは現代において絶対的な説得力を持ちかねない。

若いうちに、こうした未熟な説明によって精神文化を「理解・解釈」してしまうのはあまりにもったいない。

脳科学者が発見した知見も素晴らしいのは間違いない。しかし、人間存在を理解、解釈するには現時点では従来の文学や哲学に分がある。実際、本書で意識に付いて考えたときも脳科学的な言及ではなく、従来の思考実験的であり、故にかなりの部分が既に哲学で言われていることである(しかも、それが「科学的に」検証されてないっぽい)。

加えて言えば、文学や哲学などによって与えられる説明や解釈に対し、理解や解釈、批判などをする中で、哲学的思索や思考実験、内省などの豊かさを学べるものと私は考える。科学的な説明では「実験でこうなりました。だからこうだと言えます」「へー、そうですか。そうなっているんですか」となってしまいがちだろう(ちなみに、この批判精神のない姿勢は「科学的ではない」し、逆にいえばそういう姿勢で文学を読む輩もいるだろうが)。

本書にもあるが科学至上主義はほとんど宗教である。

池谷 僕がいま「科学的じゃないと信じない」と言ったよね。となると、「信じる信じないって何ぞや」という話になるわけ。「科学的なら信じる」という、その「信じる心」って一体なんですか、と。
学生U やっぱりアレですよ……信仰(笑い)。
池谷 そう、もはや宗教だよね。信じる信じないという話なんだからさ。思い切った言い方をすると、科学ってかなり宗教的なものなんじゃないかな。「科学的」というのは、自分が「科学的」だと信じて、よって立つ基盤の中での「科学的」なんだよね。そう考えると、科学ってかなり相対的で、危うい基盤の上に成立しているんだよ。
だから科学が扱えない領域の事物を科学に説明してほしいという気持ちはわかるが、それはやめておいたほうがいい。それは科学的な態度じゃない。

それに考えるのだが、心や意識もクオリアに過ぎないかもしれないわけで、そうだとしたら、本書でもある通り、クオリアは言葉が生んだということで、そういう問題には言葉の方でアプローチするのがいいんじゃないか、とか思っていたりする。まあ、長くなるのでこの話は略。

あと考えるのが、従来の哲学とか宗教とかの理論を脳科学で検証するってのが近道な気も。他の脳科学者の本読んでても思うんだけど「それ考えた人いたよ。哲学書、読めば?」って気分にたまになる。

結論として、ふつーに批判精神のある人はこの本読んでもよし。読んだらすぐに影響受けるタイプは読まない方がベター。「心とかも科学で語れるぜ」とかなって人文書を見下す可能性あり。「いや、人間そんなシンプルじゃねーってば」。

まあ、いいや、結局、この本、中高生相手なわけで、あんま大人が本気になってというのも、大人げねーわな。夢もって脳科学の道いくのもいいしね。頑張れ、青年、夢見ろ、科学者(あ。皮肉じゃないからね)。

まあ、俺だったらふつーに定番なかんじの教科書みたいの読むよ。


進化しすぎた脳

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