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高校生の君達が知りたいのは、クラシックや日本伝統音楽ではなく、きっとロックだと思う。そこでこれから四回に渡ってロックの歴史を追いかけてみたい。今回は、ロックの歴史を押さえるために、北米黒人音楽、それもブルースの話をしたい。
なぜか?それはロックだけでなく、現代のポップ音楽の潮流の源泉が、この北米黒人音楽にあるからである。つまり、ロックだろうがR&Bだろうがヒップホップだろうが、元をたどれば、この世界に来るからである。元を知っておくのも悪くはなかろう(別に知っていたから偉いわけじゃないが、無駄な混乱は減るものである)。
まあ、高校生の君達の大半はよさがすぐには分からないだろう。が、中には耳が付いている者もいるかもしれない(あまり期待はしていないが)。そうした君の為にも、音源を見つけ次第、貼りつけてゆくつもりだ。また、今は網羅しようという気ないから穴だらけのリストだが、いつか更新するかもしれない。たまに覗いてみて欲しい。
戦前ブルース (1920-40年代)
カントリー・ブルースあるいはデルタ・ブルースとも言う(ただし、正確にはデルタだとテキサスやアラバマ、ジョージアや南北カロライナが入らない言い方になってしまう。この「デルタ」は「ミシシッピー・デルタ(ミシシッピー川の三角州)」のことである)。詳しい発祥は不明だが、南部の大規模農場で(奴隷のように)働いていた黒人が生み出した音楽である。楽器はアコースティック・ギターとブルース・ハープが特徴的である。
都会に出てレコーディングをした黒人もいるにはいたが、多くの場合は黒人相手の酒場での演奏であり、踊りの伴奏であった。そのためあまり録音は残っていない。それでもローカルなレコード会社の録音が残っている場合もあるし、忘れてはいけないのは、アメリカ議会図書館(Library of Congress)のアラン・ロマックス(Alan Lomax)の大規模なフィールド・ワークによるものも多い。ちなみに、Library of CongressのAlan Lomaxコレクションのページでは、アメリカ南部の他、スペイン、カリブなど彼のしたフィールドワークのコレクションの一部を見られる。写真や音源の一部もこのページから視聴でき、その中にはLeadbellyのMidnight Specialもある。
なぜ20年代からかというと単純である。その前は録音がないからである。ちなみに、クラシック・ブルースというのもあるが、これはややジャズに近いと思うので他の時に解説する(本当はR&Bやジャニスの説明に絶対必要なのだが……)。また、シティー・ブルースなど紹介すべきものは腐るほどがるが紹介しない。黒人音楽はデルタしかなかったなどとは夢にも思わないように。また、下の人しかいなかったなどとは思わないこと。一部の一部である。
- ブラインド・ウィリー・ジョンソン (Blind Willie Johnson (1897-1949)
- 正確に言えばゴスペルの人であるが、迫力のダミ声と、護身用のナイフから繰り出されるスライドギターの音は、まさにブルースのそれである。中でも暗くエネルギーに満ちた「Jesus Is Coming Soon」や「Trouble Will Soon Be Over」は必聴である。君には、闇が聴こえるだろうかか、それとも光が聴こえるだろうか?ちなみに「Blind」は盲目という意味である。 Internet Archiveに音源あり
- チャーリー・パットン (Charlie Patton, 1891(1887?)-1934)
- 「デルタ・ブルースの父」として有名。特にウィスキーや煙草で喉がかすれたような、がなるような声が特徴。多くのブルースマンに影響を与えたが、中でもシカゴ・ブルースのハウリン・ウルフへの影響は特筆すべきだろう。有名な話だが「A Spoonful Blues」のスライドギターはちゃんとSpoonfulと言っているように聴こえる。 Internet Archiveに音源あり
- サン・ハウス (Son House, 1902?-1988)
- 二十代半ばでチャーリー・パットンに影響された彼は、牧師をやめてブルースマンとなり、以後「悩める魂」を歌い続けた。特に「Death Letter Blues」での気魄の演奏は時間や空間の感覚すら狂わせ、空恐ろしい、夢の世界のようになってしまう。
一度すたれた後も農場で働いているのを白人に「再発見」されたため、映像も残っていて、豪快なスライドギター演奏も拝むことができる。再発見前の録音も、アメリカ議会図書館アラン・ロマックスの録音も、再発見後の録画も全てチェックして欲しい。チャーリー・パットンと共にロバート・ジョンソンに影響を与えた。私はサン・ハウスが一番のお気に入りである。 Internet Archiveに音源あり。
- スキップ・ジェイムス (Skip James, 1902-1696)
- 「再発見」組の一人。ピアノもギターも両方こなせる天才である。音楽は「Hard Time Killing Floor Blues」で特に発揮される、さまようような、負けたような、独特のかすれ声が疲れた君を魅了するだろう。 Internet Archiveに音源あり。
- ロバート・ジョンソン (Robert Johnson, 1911-1938)
- 最も有名なブルースマンである。ストーンズやクリーム(クラプトン)、ツェッペリン、ボブ・ディランなどロックの立役者に巨大な影響を与えたことは、今時そこらの猫でも知っている。勿論、ブルースマンに至ってはエルモア・ジェイムスやマディー・ウォータズに直接指導したこともあり、影響は幅広い。
「Crossroad Blues」が有名だが、どれも必聴である。図書館に入っていなければ Robert Johnson くらいは入れてもらってもいいのではないだろうか。初期の多くのロック・ミュージシャンが「RJを知らない奴とは話したくない」と言っているが、普通の高校生の君は真似をしていると友達がいなくなるから注意。 Internet Archiveに「Phonograph Blues」「Love In Vain」の音源あり
- ブラインド・レモン・ジェファーソン (Blind Lemon Jefferson, 1893-1929)
- 今まではミシシッピーの人間だったが、この人はテキサス系のブルースの元祖と言えるだろう。デルタ・ブルースとは違う、乾いた味わいがある。レッドベリーやライトニン・ホプキンスらに直接影響を与えた。もちろん盲目。 Internet Archive に音源あり
ミシシッピー・ジョン・ハート(Internet Archiveに音源あり) など、もっと載せるべき人間はいるのだが、まあ、デルタ周辺の基本的な人のみということで。
シカゴ・ブルース (1950-1970年代)
戦前の巨人がひしめいたデルタ・ブルースの世界は40年代に急速に終息する。大規模農場は機械化し、黒人労働者が不要になり、過去の黒人コミュニティーも崩壊したからである。黒人たちは仕事を求めメンフィス、シカゴと北上し、トラックの運転手や自動車工場で働くことになる。中でもシカゴでのブルースマンの活躍は特筆すべきものがある。
デルタ・ブルースと異なり楽器は電気化される。エレキ・ギターの強烈な音量に、アンプリファイされたブルース・ハープ、それにドラムとベースという編成になる。白人向けに「洗練」した者もいるが、ここでは南部臭さ、泥臭さを残した人間を紹介する。
- エルモア・ジェイムス (Elmore James, 1918-1963)
- ロバート・ジョンソンの弟子の一人。ミシシッピー・デルタの出身でデルタの項目に入れてもいいのだが、エレキだし、こっちでいいかと思った。「Dust My Boom」などで聴ける強烈な三連のスライドギターリフで後のロックギタリストに大きな影響を与えた。また激しく、甘い歌声も胸を熱くさせる。
- マディー・ウォーターズ (Muddy Waters, 1915-1983)
- 「Hoochie coochie Man」で知られる「シカゴ・ブルースの父」。デルタ出身。エルモア・ジェイムス同様、RJから技を盗む。私は違ったが、普通はストーンズを聴いて、マディーを聴き、そしてRJというのが標準的なロック青年の系譜である。
- ハウリン・ウルフ (Howling' Wolf, 1910-1976)
- マディーと同じくシカゴ・ブルースを支えた巨人。毒のあるダミ声はパットンの影響を強く感じさせる(実際、パットンに直接習ったこともあるらしい)。そのダミ声とヒューバート・サムリンのキレのあるギターが組み合わさったサウンドには悪魔も逃げだすだろう。
- ライトニン・ホプキンス (Lighting' Hopkins, 1912-1982)
- 「テキサスの不良おやじ」「永遠の不良中年」である。シカゴ・ブルースの人じゃないが、ここに(項目の作り方はいつか見直すべきだな)。レモン・ジェファーソンに習ったらしい。デルタな泥臭さではなく乾いたキレと渋さが最高にかっこいい。ラフな服装に黒いサングラス、葉巻を咥えて「ハハハ」と不敵に笑う様も最高にかっこいい。私の高校時代のアイドルである。 Internet Archiveに音源あり
モダン・ブルース (1970-1980代)
一時廃れたブルースが、イギリスの若者の心をつかみ、ストーンズやヤードバーズなどを生むと、再びブルースはブームとなる。シカゴの巨人たちの他、「再発見」組も注目される中(これはフォークの文脈との絡みもある)、より聴きやすいブルースも支持を集める。B.B.キングやアルバート・キング、バディ・ガイ、オーティス・ラッシュなどである。いわゆる「ブルース・ブーム」であり1980年前後に我々極東の島国にも余波が来た。
ここら辺になるとかなり聴きやすいが、個人的にはあまりブルースらしさを感じないように思う。君はどう思うだろうか? それに彼らを取り上げたら、ジョニー・ウィンター(Johnny Winter, 1944-)やスティーヴィー・レイヴォーン(Stevie Ray Vaughan, 1954-1990)などテキサス出身の白人ブルース・ロックなども私は扱いたくなってしまう。
それにこの時期には「ロック」が成立しているので、現代の若者は「ロック」の方に興味を持つだろうから、そちらを優先する。まあ、とにかく、表に出てこようが出てこなかろうが、我々が知ろうが知るまいが、ロックの後にもブルースは脈々と受け継がれているのだと記憶の片隅に入れておけばよいだろう(特にデルタでは昔ながらのスタイルがかなり残っているらしい)。
次回は軽くヒルビリー(カントリー&ウェスタン)と、今回は省いたR&Bの二つを押さえ、ロックンロールが形成され、それが白人の音楽としての「ロック」となるところを追い、そこから現代までを追う予定だ。え? クラシックや日本伝統音楽の講座? 大丈夫。言われなくても、そのうちやるから。
変更履歴
2007-03-30 作成
2007-04-02 Internet Archiveの音源へのリンク追加
2007-04-02 Library of Congress の Alan Lomax Collection へのリンク追加
2007-07-08 「ブルーズ」を「ブルース」に表記変更