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仏教誕生時のインド思想の状況から、釈尊の生涯、初期の基本的な仏教の教えの内容などがコンパクトにまとめられている。
著者によれば、釈尊の基本的スタンスは
生のニヒリズムに裏打ちされた経験論とにしてプラグマティズムとのことである。「生のニヒリズム」とは生存欲を断つことである。ただし、全く生存能力が欠如するのではなく、生存にとって必要最低限の機能は果たせるように完全に制御できるようになることとのこと。
「生存欲を断ずる」ということを(……)仏教に即して見れば、それは文字どおりに食欲中枢、性欲中枢をまったくの機能不全に陥れようというのではなく、生存欲を持続的に抑制する、きわめて安定した心的状況を確立することだといいかえてもよい。だから、生存欲が断たれても、そのまま飢えて死ぬということにはならない。
更に、著者は「生のニヒリズム」に到達した人は
この世に生きることになんの意味も見いださず、したがってまた、なんの価値判断も下すことがない。のではないか捉える。そこで、そうした「生への意欲がなく、生存欲がない」人が、なおかつ生きたことを問題にし、その答として
意図的に意味ないし価値を「創出」したからと答える。つまり無意味な世界に、醒めた目で、意味を与えたのである。
慈悲は、釈尊その人にとってはなんの意味ももたない世界を、あたかも意味があるかのごとく創出する一種の幻術である。ただ、幻術を自在に操ることのできるのは、世界と自己とになんの意味も見いださない「生のニヒリスト」以外にはない。そして、その釈尊は
どうでもよい世界をどうでもよくはないと考えている人びとを、安全かつ迅速に導いて、世界にはなんの意味もないと気づかせるための、つまり生のニヒリズムへのいざないのための巧みな方便を生きたのである。