2007-06-16

[書評] 天才はいかにうつをてなづけたか / アンソニー・ストー

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単純にバカと天才紙一重という話ではなく、チャーチル、カフカ、ニュートンなどの「うつ」などの精神的な障害を彼らがいかに乗り越え、また、そうした障害から能力を引き出したのかが分かるという良書。類書を私は読んでないが、かなり丁寧に書かれたという印象を持つ。本書を読んで「やっぱり普通に生きたい」と思うもよし、「あぁ、私はこっちだ。天才として生きるしかない」と思うもよいだろう。

ただ、普通に考えて、あまり人の人生とりあげて精神的な問題を考えて、創造性を考えるのも、どうかと。ある人をこまかく見りゃ、だれだって異常に見えるもんだと思う。それなりのことをした人は、結局、それなりのストレスがあるわけだし、それなりの行動をするだろう。あまり、真にうけて、いろいろ考えない方がいいとは思う。

まず、チャーチル。絶望的な状況においてイギリスを奮いたたせた彼の勇気は、生まれつきのものでは断じてなく、逆に挫折感の克服から、自ら生み出したものだということらしい。

ただ一人、自分の精神的な挫折感を受け入れ、これを克服した人間がいて、その男は当時のような急場においても、自分の信念を持ち続けた。その男は望みのない事態の中でも真の希望とは何かを見分け、敵に包囲された状況にあっても、常識を超えた勇気を保ち、攻撃的な稀薄を燃やし続けた。(……)生涯を通じて自らの挫折感に戦いを挑み続けてきたからこそ、国民に向かって挫折は克服できると教えることができた。

そして、その「勇気」とは、信じることから生まれた「妄想」であるのであるが、状況次第では、そうした妄想のようなものが、まさに現実を創りあげてゆくこともあるということになる。その想像力は、やはり精神的障害なしには、ありえなかったということらしい。

私たちはチャーチルの「信じるからこそ実現できる内面の世界」について度々ふれてきたが、(……)、チャーチルは内面の世界にこそ現実を見いだした。(……)、一九四〇年、「信じるからこそ実現できる内面の世界」は、普通の人間には滅多に起こらないような形で、外側の世界と一致した。(……)。あの暗い時代、イギリスが必要としたのは、聡明で、落ち着きがあり、安定感のある指導者ではなかった。イギリスが必要としたのは、預言者であり、自分が英雄になるという妄想をもった人間であり、敗北が明らかな状況にあっても、勝利を夢見ることのできる人間であった。チャーチルはまさにそのような人物であった。人を生き生きとさせる彼の性質の根底にあった活動的な力は、彼が真実の自分を見いだした想像力の世界に由来していたのである。

もし彼に精神的な障害がなければ、そうした「勇気」や「世界」を創造するだけの想像力はなかったろうし、ゆえに人を奮い立たせることはできない。障害がなければ安定した生活は送れたであろうが、そうした安定した人物を1940年のイギリスは求めてはいなかった、と。

次にカフカ。「あまりにも幼なすぎる頃に、愛は無償で与えられるものではな」いことを学んだ彼の人生は無力感に支配され、アイデンティティーは常に危機にさらされる。

カフカは『父への手紙』の中で、「私を圧倒した非存在の感覚」について語っており、この感覚には父親の存在が大きく影響していると述べている。彼はある夜味わった恐怖について思い出している。その夜、水が飲みたくなって泣き出してしまった彼を、父親はバルコニーへ放り出した。「その後数年間、苦しい幻影に悩まされた。権威の象徴であり巨大な男となった私の父が何の理由もなくやってきて、夜中に私をベッドから起こしてバルコニーへ連れ出す。私は彼にとって何の価値もないのだ。」
三重高速に囚われた子供は、何をしてもいつも悪いのは自分になる。カフカが父親に次のような手紙を買いたのも不思議ではない。「あなたがかかわった全ての状況で、ぼくは自信を失くしたんです。そういう状況で、ぼくは限りない罪の意識にとらわれてきたんです。」

それは人から離れることへとつながる。

そして、カフカは、一生をかけて、だれとも仲良くしなくてもいいような人間関係を求めてきた。なぜならカフカは、自己主張の封印によって、あるいは他人への盲従によって、アイデンティティを見失う傾向があったからである。

一方で、「絶対的な愛」「完全な受け入れ」を求めてしまう。フェリーチェは婚約者。

「ここ三ヶ月の間、フェリーチェ、あなたはそちらにいましたか? 一日でもぼくからの便りがなかった日があったでしょうか。そんな日はないはずです。でも今日、火曜日もきみからの便りはありませんでした。日曜日の四時からずっときみからの便りがありません。明日の配達まで六十六時間以上ありますが、ぼくの心の中には思いもよらず起こりそうな良いことや悪いことが、入れ替わり立ち替わり浮かんでくるのです。」
そうした状況の彼は「書く」ことでアイデンティティーを確立してゆく。

「芸術家志向というのは真実ではありません。誤った見解の中でも甚しいものであう。ぼくには文学の趣味などなく、文学そのものなのです。ぼくはそれ以外の何者でもなく、それ以外の何者にもなれないのです」

カフカは精神病ではない。しかし、精神病的な幻想に引きこもるのを防いでいたのは、書くことであったと、私は信じる。というのも、書くことはコミュニケーションの手段であるし、他の人と遠くかけ離れているとはいえ、接触する機会を保つ手段であるからだ。カフカのような気質をもった人々にとって、書く才能を備えているのは、他の人と直接接触しなくても自己を表現できる方法を手にしているという点で、理想的である。

恐怖に縛られている人にとって、書くことは別の働きをする。カフカは、『審判』を書くのは悪霊払いだと、ヤノッシュに語っている。書くことは、人と直接接触することなく自己のアイデンティティを確かめるだけでなく、無意識の世界に抑圧された過去の経験を意識にのぼらせて解き放つ除反応でもあり、悪霊を鎮める方法でもあり、言葉によって悪霊を釘付けにする方法でもあった。カフカは、書くことあるいはその他の想像的な活動が生き残る方法であることを、見事に証明してくれる。

こうして書くことは彼を救うが、しかし、それは「ひきこもり」であるだけであり、その不安定さをカフカも気づいていたという。

ただカフカはその書くことが人に認められ自信につながっていったのであり、その点でやっと人との交流にもたえられるようなアイデンティティーが成立したということだ。筆者は、もしカフカが長生きをしたら、生活は普通の人とさほど変わらなくなり、作品を書く内面的な力も失われていたと予測する。

次にニュートンについても、そのうつ病や分裂病の兆候などの病理学的な特徴を分析した上で、科学的発見と正確との関連を考えている。幼年期の愛情の欠如が、野心や嫉妬心を醸成してゆくという流れ。

また抽象的、客観的な思考能力も関連があるとする。

私たち大多数の人間は、長いこと物事を主観的に考えないでいたり、身体的な要求あるいは人間関係に対する欲求を断わったりするのは、それほど容易ではないと考えている。抽象的な思考によって偉大な貢献をしたこれら天賦の才をもった人々は、特に人間的な身近なつきあいをしておらず、身体的な要求や欲求を抑制したり、あるいはそういったものに無関心であった。ニュートンと同じように、身近なつきあいをもたなかった人には、デカルト、ホッブス、パスカル、スピノザ、カント、ライプニッツ、ショーペンハウアー、ニーチェ、キルケゴール、ウィトゲンシュタインなどがいるが、これらの人たちは要するに世界に名だたる思想家である。(……)この人たちのうちの何人かは独身主義者であり、同性愛者であったし、そうでなかったとしても、束の間の女性関係しか経験していない。

また、孤独であることも長い集中力を実現するのに必要だという。

まだまだ、いろいろつづくが、このへんで。