2007-06-27

最近、笑い声、気になりません?

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人の笑い声を聴いて「うわっ」と思ったこと、ないだろうか。

失礼な話だが、俗に言う「オタク」っぽい人が、ウヒヒヒと笑うのを聞くと、「うわっ」と正直、私は感じる。詳細に書けば、嫌悪感がややあり、かつ、「はは、なんて笑い方だ」という蔑みがある。

また、同様な印象の人が、そうした笑い声で、別に笑うタイミングでなく笑うのを聞くと「おいおい」と私も笑いたくなる。

どうして、あんなに、いやな笑い声なんだろう? そして、それを「いやだな」と感じるのだろう?

すぐに思い付くのは、その人の身体に無駄な緊張があることである。特に胸と首を締めつけていないと、あんな高音で小刻みな音はでない。

そして、その緊張を私たちの身体は無意識に感じ取り、嫌悪を感じるのだろう。

あの笑い方だと、笑い過ぎてもハラが痛くなることはないだろう。腹の底から笑ったら、あんな音にはならない。腹の底からの笑い声なら、あんな無様な響きにならない。

そして、そうした無駄な緊張そのものを、私の身体が嫌がっているのだろう。他者の緊張は伝染する。つまり、人が緊張した笑いをする時、自分も緊張をもらってしまう。そして、その緊張を払いたいから、今度は自分が笑ってしまうのかもしれない。

こうした笑いは緊張状態の時に出るのが本当だとすると、そうした人は仲間と笑う時ですら、緊張状態にあると考えられる。また、そうした人が不思議なタイミングで笑うのも、緊張状態にあるからだと考えると辻褄がある。

そして、笑いが胸部の緊張で出るようになると、緊張をほぐす筈だった笑いは、逆に、緊張を強めてしまうのではないかと思う。あのヒヒヒという笑いでは緊張は解けずに強くなるだろう。

逆にゆったりと笑う人はとても印象がよいし、その笑いは自身の健康にもつながってゆくだろう。人間は人の無駄な緊張をかなり的確に感じ取るものだと思う。リキみが無い人をみると優美であったり雄大であったり感じ、リキみがある人を見ると、ギコちなく、小物に見えてしまう。



たまには、腹の底から笑う練習が必要なのかもしれない。腹がよじれて、腹が痛くなる程笑えば、ヒヒヒという締め付けたような笑いは出てこなくなる筈だ。

ただ笑えと言われて、腹の底から笑うのも難しいが、案外、一度無意味に笑い出すと、その無意味さがおかしくなり、よく笑えるものである。

また、本当に笑えるような物に触れるのも勿論いいと思う。とにかく、大きな声で笑えばいいと思う。

それ以外には腹の底から大きな声で唱うとか、話すとか、そういうことをすればいい。息が腹から出るようにすれば、笑いも腹から出るだろう。

私がそうなのだが、なんだか、笑うのが恥ずかしいことに感じている人も多いと思う。テレビを見てゲラゲラ笑っている親を「醜悪」と感じたからか。電車の中などでマンガを読んで笑わないのは勿論、一人で部屋で笑うのも、その姿がサビしくて、私たちは笑わない。

また、カラオケに行っても、歌も腹から声を出すような歌よりも、喉をつまらせたような歌ばかりを歌ってしまう。

笑うには、友人が必要と思う。そして周りの人と一体となって笑わないと、本当に腹の底から、腹がよじれるほど、腹が痛くなるほどは、笑えない。ただ、そうして笑うにたるような芸能が少ないな、と思うが。

いや、何でも笑えばいいのか。ばからしい。

まあ、そういう時間を大切にしたいと思う。