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週末にイタリアンとインド・カレーのコースを楽しむ。
慣れた店であり、気楽にワインを飲み、前菜をつつく。ワインがうまい。名前は忘れたが、オーストラリアのシラー種。シラーでうまいのは、なんというか、こう、熱い、というか暴力的であると思う。粗雑さとの綱渡りとでもいうか。
まあ、ちょこちょこと色々食べたのだが、中で驚いたのが、焼いたミニ・トマト。口の中で、力強く、太陽が広がった。酸味と甘味が不可分に広がり、ただ「赤い!」と感じるのみ。
味はつけるものではない、引き出すものだ、と誠に思う。塩とスパイス、それに火加減が、トマトの味をここまで引き出したか。ここのシェフは開店当初から、野菜を焼いた料理を常に研究していたことを思い出す。
なんというか、うまいものは、びたーっとうまい。ちょこっとうまいというのは、あるのかもしれないが、私にはよく分からない。頭の芯がぼーっとするほど、痺れるほどにうまいものが、うまいのだと思う。小細工なく、理解がどうとか、舌が肥えたとかどうとかの次元でなく、その圧倒的な力で、俺を感動させて欲しい。それ以外は、別にどうでもいい。興味がない。
とか言いながら、自分の家の炬燵で、好きな音楽を聞きながら発泡酒でも飲みながら食べれば、何を食べたって痺れるほどにうまいのだが。まあ、恋人や母親、自分が作る家庭料理には敵わないものである。
追加で頼んだチキン・カレーは何故かいまいちだったが(だから追加でオーダーするまで出さなかったのかもしれない)、全般に満足する。ただ、問題は食べ過ぎたこと。
来週からは、質素に暮らしたい。「身ひとつに美食を好まず」が正しいと常に思い続けてはいるわけだし。