2008-02-06

通夜(2)

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通夜から帰ってきて思うことを少々。

私の周りでは、よく人が死ぬ。というよりかは、私が中学時代に所属した部活の人間は早死にが多い。五十で死んだ顧問を入れれば、これで四人目である。加えて言えば、もう一人、やや外れてはいるが、関連している人間が死んでいるはずである。やはり音楽は体に悪いのか、体の悪い人間が音楽を好むのか。

それとも、早く死ぬと思えばこそ、自分のすべきことが逆に明らかになり、藝術にのめり込むということもあるのかもしれない。人間の肉体は(精神も)極めて脆く、危うい。寿命は一瞬で過ぎ去る。そのことを知る彼らは、自らを本当に熱くさせる藝術に飛び込まずにはいられないのではなかろうか。

人の命は耐え忍ぶには長く、成し遂げるには短い。一瞬と思って炎を燃やせば日々の繰り返しの長さが襲い掛かるし、逆に日々を過ごそうと思うと驚くほどに一瞬で月日は流れ、寿命が消えてゆくことに驚く。よく分からないが、恐ろしい。

よく分からないから、考えるのはよそう。下らない。

今日は中学校の部活の先輩の通夜に行ってきた。

彼女と付き合っていたこともあるギターの講師は悲しそうだった。彼は私の同級生が死んだときには「電池が切れた」と言っていたのだが、今回は事情が違う。仔細は知らないが、彼は彼女と五年間以上は付き合っていたと聞く。彼女は高校生で、彼は講師だった。そして彼女は高校を卒業し、彼と同じ職場で働いた。

高校からの5年間を見守り愛した女性が、やがて自分を離れ、家庭を持って子供を育んだ。そして、その彼女が彼女よりも先に死んでしまった。ただ、彼は「早すぎるよ」と繰り返していた。もう四十になる頃か。葬式で会う度に彼は老けてゆく。私が中学生の頃は「俺は永遠に18歳だ」「ビールは水だ」と言っていたのを思い出す。

彼は目を赤くして、後に残された、まだ母の死を認識できない幼い女の子を彼は不憫がった。彼女はちょこちょことやって来て明るく笑っていた。その笑顔を見て、皆は口々に母親に似ていると言っていた。あの歳では母親の記憶は残らないだろう。

そういえば、同級生が十八で死んだときも、彼と付き合っていたことがある女(これも私と同級生)は苦しそうだった。私も悲しかったが、彼女は本当に苦しそうだった。無力になったときに、初めて気づくことがあり、逆に、手遅れにならなければ気づけないことが、人にはありすぎる。

私も彼女が自殺しかけたときには本当に苦しかった。人の生き死にが関わると他の問題は本当にどうでもよくなる。私は自分の愛した女性を失わずにここまで来れたことが本当に有難い。本当に自分勝手な物言いだが。

式が終わると式場には音楽が流れ、様々な写真が貼られていた。彼女の笑顔の中に、私が写っている写真も数点あった。割合から言って、その枚数が多過ぎたと思う。

最後に棺桶に眠る彼女の顔をみた。本当に美しかった。