2006-12-03

異文化の笑いは難しい

このエントリーをはてなブックマークに追加

大阪人はぼける。んで東京人な俺はつっこまない。すると大阪人は「なんでつっこまんの?」とか「ここつっこむとこ!」とか言う。時にして「つまらんやつだ」と説教くさくなり、時にして「話にならなん」と怒りだす。東京人としては悩むところ。

まあ、とにかく異文化の人との笑いのコミュニケーションは難しい。

*

例えば、アメリカ人にはひたすら笑い続けるしかないのかもしれないと思う。それで笑ってみるのだが、やっぱり、それはそれで体力が続かない。アメリカ人の笑いには体力がいる。

そう。今でもはっきりと覚えていることがある。あるアメリカ人の友人の部屋にゆくと、背景と合成処理して小錦くらいに大きく見える赤ちゃんの写真のポスターが貼ってあった。合成処理したものなのは明かだった。

んで、特に面白くもなかったので何も言わないと、友人が「おい、これ、ハワイで生まれた赤ちゃんなんだよ」とか言う。俺は軽く笑ってあげる。

すると彼は更に言う。「本当なんだよ。こんなに大きな赤ちゃんが生まれたんだよ! ワッハッハー!」笑い声がアホのようにでかい。

それで、おれは「ここ、ぼけるとこかな?」とか思い「マジで?」とか言った。すると彼は「オーノー。本当なわけないヨー」とか言う。

そんで「やっぱ、日本人はジョークわかんナイネー」みたいな顔してる。いやね、ちがうんですけど……。んでも、とにかくそいつは笑い続けている。よっぽど、その画像処理で作られた小錦サイズの赤ちゃんが面白いのだろう。意味がわからん。

俺からすると、「マジで?」というとこで、笑てってほしかったりすんだが、このボケはボケとしてとられないんだろうな。というかアメリカ人はボケもツッコミもないのかな? ようわからん。

*

そういえば、笑いといえばドイツ人である。ドイツ人の笑いは「音」である。

日頃から「シュプレース」とか「シュプランヒェース」とかわけのわからん音を発し「お、この音おもしろい」とか言って爆笑している。それで、突然「おい、おもしろい言葉おもいついたんよ。聴いてみて、聴いてみて」とか言ってくる。んで聴いてあげると「シュプレース、シュプレース」とか連呼して一人で笑っている。

その友人だけが特別アホなんだろうと思っていたら、その友人の友人もその冗談で笑っている。「おお、それいけてるよ。おもしれー」とか言って、ドイツ人二人はしばらく「シュプレース、シュプレース」とか言って手を伸ばしたり縮めたりしながら笑いころげていた。

「なんてアホな民族だ」と俺は感動したものだが、恐るべきことに、やつらはそのネタでゆうに二週間は笑っていた。ドイツ人はつくづく恐ろしいものである。

*

そいつは日本語がそこそこ分かったので「おい、ドカンがドッカンって意味分かるか?」などと教えてみる。一瞬キョトンとしたゲルマン人の顔はなんとも愛らしいが、脳味噌は笑いを求めてフル回転である。勿論、その後には大爆笑である。「フトンがフットンだ」など教えた日には、会う人みなに教えて笑い転げていた。

俺は「それのどこが面白いんだ?」と訊いた。彼は(アホのくせに)「まず第一に音というのは人間の……」といかにもドイツ人らしく論理的に語り出す。そして「ドイツ人というのはいかなる状況でも、つまり、戦場でも監獄でも、面白いネタが全然ない状況であっても笑いを作り出し、笑いころげられるのだ」とか言う。まことに、とんでもない民族だと思った。

*

そういえば、イギリス人の笑いは残酷で有名だが、実際に笑ったら人格が疑われるんじゃないかというほど悲惨な話をすることがしばしばである。

「いやー、馬鹿なやつがいてね、精神科医だったんだけど、性欲の抑圧がいけないとか言ってさ、極端な性欲解放主義者になってさ学会からも追放されてさ、変な精神治療器を作り上げで、最後は薬事法で逮捕されたんだよ。ギャハハハハ。まず自分を治せよ。ギャハハハハ。性欲の抑圧ってさ、そんなにセックスしたかったんかね? ギャハハハハ。で、笑えるのがさ、そいつがなんでそんなに性欲の抑圧を憎んでたかっていうとさ、子供の頃、母親が自分の家庭教師と浮気してたんだよ。ギャハハハハ。それを父親に言ってしまったから大変でさ。何しろ昔の田舎の話でさ。父親は母親にえらくつらく当たったらしんだな。それで母親は自殺しちゃったんだよ。ギャハハハハ。何も死ぬことないじゃん。ギャハハハハ。それで性欲抑圧がお母さんの敵って訳なんだよ。ギャハハハハ。人の精神治そうと思う前に、まず親離れしろよ-。ていうか、性欲とか関係ないしー。ギャハハハハ」って感じ。「え? それ笑っていいの?」と心臓が凍る。ついつい、目は笑っているのかと青白い目を覗き込んでしまう。となりのアメリカ人も笑っているが、最後の方は、ややオッカナビックリである。

*

しかし、やっぱり大阪人との笑いのコミュニケーションが一番苦労する。というのは、アメリカ人もドイツ人もイギリス人も、俺が笑わなくて「はは、ジョークのわからんジャップはかわいそうだな。こんなに面白いのに」といって一人で笑っている。やつらはいつも俺が笑わなくても笑い続けている、気味が悪いほどに。

大阪人は違う。彼らは怒る。「おい、そこツッコむとこ!」とか指導してくる。自分が面白いと思うなら一人で笑えばいいじゃないかと思うんだけど。

それに不思議なのは「まじで?」と言うのがボケにならないところだ。「つっこむとこ」とか言わないで「まじなわけねーじゃん」とか言って笑えばいいと思う。思うに、どんな状況でも笑いに持ち込むことが、笑いの能力の大切なことだと思う。「笑いの能力がある」というなら、どんな場面も笑いに持ち込んで欲しいものだ、少なくとも怒ったりするのは笑いの精神に反することだと思う。

一方で確かに東京人の「それサムい」というのも最悪な反応だとも認識している。相手が笑わせようとしてるのに、斜めに構えて批評を加えるという態度は良くない。ただ、笑わなきゃいいだけだろう。冗談にこういう態度を取るのは世界広しと言えど東京人くらいな気がする。この点では大阪人の言う「東京人はツメたい」というのも納得する。

ただ、それも「愛想笑い」「営業スマイル」という文化で疲れきっている東京人の溜息なのかもしれない。と言えば、東京人に甘過ぎか。